=XR400Rにまつわる本当にあった話=

もう20年近く前の事なので話しても差し支えないだろう、ある日二人組みが九州からやって来た。

毎年BAJA1000に出ているのだが今まではCRM250RでのエントリーだったがYZ400Fが出てからは

到底太刀打ちが出来なくなった。そこで‘98XR400Rに機種を変更したいがそれでもトータル性能では

勝つ事はかなり難しい。そこでXRと言えば“ヴァイタルさん”と言う事で「直線でYZをパス出来るXR」を

創って欲しいと言う課題を課せられチューニングを依頼してきた。予算は二人で頑張るのですべて“お任せ”

と言う事で我が手法が思い存分発揮出来る環境を整えてくれた、結果がすぐ出るので責任重大だ。

よくよく話を聞いていると普通のユーザーとは思えない内容の話しまで出てくる。そこで私は

「メーカーの人ですか?」と聞くと「バレましたか、実は私たちがXRを規格 テストしています」と言う。

XR屋としてはこの上ない栄誉な事だった。まさかイチ販売店がXRに携わる開発者と関われるなんて・・・

そんな人がウチを頼ってくるなんて。BAJAには個人の趣味で毎年行っていてメーカーの人間だけど

一切メーカーはサポートしてくれないとのことだった。

チューニングの内容はHRCパーツを中心に主にバランス取り お約束の”通勤快足”がベースとなった。

その当時はリミッター解除は施していなかった。

マシンも仕上がり慣らしや性能チェックの為 国内のエンデューロレース2戦を消化してBAJAに臨んだ。

レースが終わって小包と手紙が届いた、レース結果はトラブルに見舞われ揮わなかったけれど

依頼した課題は何度も直線でYZ400を抜く事が出来て満足でした と言う事だった。

そのトラブルとは私も話では聞いた事があった「ブラインドコーナーに人だかりがあれば気を付けろ」と。

悪意有る現地人がコーナー先に穴を掘って転倒する様を見て喜ぶというものだ。

それに相棒が引っ掛かって大転倒 右足大腿骨骨折に車体は「くの字」に曲がってしまったそうだ。

それにも関わらずエンジンを掛け交代ポイントまで走ってきたそうだ。相棒は即入院。

そんな事で成績は振るわなかったそうだ。帰国してすぐにXRを修復 次の年に国内レース10戦出た後

オーバーホールもせずにBAJAに再チャレンジ、総合8位に入ったそうだ。

上位は並み居るレーサーの中でXR400Rが総合8位は快挙。ソレが認められ翌年からUSの

フルサポートでワークスCRF450Xに乗って出ているそうだ、そうヘルメットとギアだけ持って・・・

永い事やっているといろいろ面白い事があるねぇ〜

もうひとつの話

あるユーザーさんが来店しました。私が持っているXR400Rとまったく同じモノを作って欲しいと。

そのユーザーさんは2年ほど前に来られて その時に私の400に乗ったという。

その後大病をされて長期入院を余儀なくされたそうです。入院中に元気になったら

あの400と同じバイクに乗りたいと思うようになったそうです。

「あの強烈なパワーが忘れられないんですよ」と言う。

彼の情熱に打たれ もうすでに生廃になっているパーツも多くあったのですが

“T. collection”を駆使して作る事になったのです。

エンジンからサスに至るまでフルコピーバージョンを作ったのでした。

合間合間に顔を出してくれて 作業状況を確認しつつ 新しいアイデアも同時に組んでいきました。

時間は掛かりましたがやっと完成し手渡しました。

慣らしが終わったとオイル交換し モトクロスコースに持ち込んだそうです。

充分満足してもらったようで 嬉しそうに「私の400が世界で一番速いですよね」と聞かれたので

残念ながらあなたのは2番目です と私が答えた。

1番は私のです と言うと 彼は「いやいや田口さんの以外で・・・」

私は頷きました。

キャブのフォーランナーバルブ加工(超ハイカッタウェイバルブ)がまだだったので

その依頼を受け出来上がり次第連絡する と言う事で彼を見送りました。

メールでスロットルバルブが出来たと連絡すると「今忙しいので時間が空き次第取りに行く」

と返事をもらい 私も忙しいのもあり2ヶ月が経っていました。

今度は電話で連絡すると 奥さんが出られて「主人は先月亡くなりました」と言われました。

大病というのは癌だったそうで来店された時はステージ3、

おそらく残された時間は少ない であれば思い残すことなく好きな事をしよう と思ったらしく

最後に選んでくれたのが400のチューニングでした。

奥さん曰く「主人も大変喜んでバイクに乗っていました 有難う御座います」と。

光栄な事です チューニング屋冥利に尽きます。

残念な事ですが あの嬉しそうな笑顔が忘れられません。

作った甲斐がありました。

=今だから言えるもうひとつの実話=

ヤマハから先駆けて4サイクルモトクロッサー YZ400Fが出て独壇場となった。

開発着手が遅れた3メーカーは対向出来るモデルを作りあぐねていた。

2ストモトクロッサーに対向出来る4サイクルエンジンの基本がすべてモーラされたエンジン

それがYZ400Fでした。市販化されたバイクのパーツはすべて特許を取得されていて

特にホンダは過去の遺恨があるので ヤマハにパテント料を払う訳にいかなかった。

そんな時にXRを開発していた↑上記の人から相談を受けた。

「新型CRFを立ち上げるに当たり 私がそのスタッフの一員に選ばれた、

そこで“案”(企画書)を出して欲しいとの事。

私はメカのそこらへんが分からないのでどうしたら良いか教えて欲しい」と。

丁度その時バックオフという雑誌のコラムを書いていて 次の号に「4サイクルモトクロッサーは

こうあるべき」と言う題で原稿を書いていた。

2ストに変わる4サイクルなので 2ストと同じ特性を持たせなければならない。

となればエンジン構成は自ずと決まってきます。

その原稿をその人にまるまる委ね 別の原稿をバックオフに寄稿した。

しかし少し時間が経って 開発の拠点が別の部署に移行したので

その企画は立ち切れとなってしまった。

雑誌などでそれ以降CRFの開発行程などが特集されているのをみて

そうしているうちにヤマハに先を越されYZ400Fが発売された。

ホンダはヤマハの真似をする訳にいかないので 全てが後手後手に回り

渡り合えるモデルが出来ず 結局見切り発進で発売が3年遅れた。

2ストから乗り換えたA級ライダーはホンダのトルク型エンジン(ヤマハほど回らない)を嫌い

2ストのように回るヤマハエンジンを好んだ。

不幸中の幸いで世界でもA級ライダーは極一部、

そのクラス以下が大半で乗り易いCRFがバカ売れしたのでした。

メーカーの本位は分からないが ウチに絡んだ話は事実です。


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