(AUTO SPORTS)


1972年9月18日 ケンとメリーのスカイライン発表


KGC110 初の雑誌CM


昭和47年10月23日開幕の第19回 東京モーターショー参考出品車 KPGC110R




出展車のパワーユニットはノーマルだった。

ケンメリの企画の段階でレースはまったく意識考慮されておらず ボンネットが前開きになったのがその証。

時は各メーカーは来る排気ガス規制で大童

青地康雄氏もレース部署から離れる事となった。

車体設計の櫻井眞一郎氏も本来のGTを目指した。

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KPGC110 公表前の雑誌記事
































と言う事はL型エンジンを積んだスカGRを望んでいると言う事か


幻のL24型スカイラインGT-R

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------------ Now finally -----------

AUTO SPORTSにてインプレがあった。

それもワークスドライバー 北野元選手と長谷見昌弘選手の手によって行われた。

























良くありがちだが 特に自社の新車のインプレなので悪い事は言えない どうしても忖度が働くのは仕方が無い。文面の行間を汲み取る事ができるだろうか。


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ある雑誌のインプレ



↑上記文中「安定した強いアンダーステアに終始」って 思うように曲がらんと言う事じゃん ダメじゃん、

車体を見て このKPGC110はメーカーのものではなく個人ユーザーから借りたものだろう。

であればエンジンや周辺機器のレイアウトもお約束の仕様だろう

またコーナリング中にも関わらずこの車高

ケンメリの素性もさることながら 借りた個体が悪かったのは推察に硬い。


櫻井さんもGT-Rは「速くて勝てるクルマ」というイメージをつけてしまい 後に苦悩したと述べられている。

スカイラインというクルマを速さを競うだけのクルマにしてしまった と。

勿論 レースで鍛え続けた結果がスカイラインそのものの歴史だ。

ソレが無ければ私は興味を持たなかった。

ケンメリGT-Rはそういった意味で本来の“グランドツーリング”に相応しいものになったのではないでしょうか。

ただスカイラインGT-Rという伝統のモデルの流れからいえば 残念ながら「箸にも棒にも・・・」

まさしく時代の狭間で消えざるを得なかった不運のクルマと言わざるを得ない。

※私が言うスカイラインは47年式のスカGまでの意味

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今イベントなどで見る事が出来るKPGC110Rは東京モーターショーに出品されていた固体に

間違いないらしい。私はてっきり別の固体をもってきてレプリカを作ったのかと思っていた。

レストアをやり直したらしいが非常に残念な事になっている。




なんで元色に塗らなかったのか(ブルー系 ⇒ グリーン系に)

実際走らせたレース車両が存在しなかったのは分かるが

エンジンルームや室内および各部を当時のワークスの造りにしなかったのか

日産ワークスの“匂い”がまったくしない。

------------ plus -----------

それとPGC10RやKPGC10Rの記念車も個人のショップが作ったクルマを借りるのではなく

日産所有の固体を持つべきだと思う。


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