1969日本GPや映画「栄光のルマン」などでPORSCHE 917といえば“ジョー・シファート”と言うイメージがある。

どんな余生を送られているのかと思い調べてみたらその2年後亡くなっていたなんて・・・

Wikipediaより

ジョゼフ・"ジョー"・シフェール(Joseph "Jo" Siffert, 1936年7月7日 - 1971年10月24日)は、スイス出身のカーレーサー。

日本語では「ジョー・シファート」とも表記される。渾名は「セッピィ(seppi)」「クレイジー・スイス」。

F1ではスイス人初勝利を含めて2勝を記録。スポーツカー世界選手権ではポルシェのエースドライバーとして活躍し、

カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ (Can-Am) にも出場した 。1971年のノンタイトルF1レースで事故死した。

1967年途中にポルシェワークス入りし、1968年のスポーツカー世界選手権ではハンス・ヘルマンとのコンビで3勝。

ル・マン24時間レースでポールポジションを獲得する。

1969年はブライアン・レッドマンとのコンビで10戦中6勝し、ポルシェのマニュファクチャラーズタイトル初制覇に貢献する。

北米のCan-Amシリーズにも参戦し、ドライバーズ選手権4位。


'69日本グランプリにデイビッド・パイパーとのコンビで遠征し、レース序盤トップを走行する。

1970年よりポルシェのレース活動を代行するJWオートモーティブから参戦し、レッドマンとのコンビで3勝を挙げる。

1971年はデレック・ベルとのコンビで1勝。Can-Amシリーズに再び出場中、運命の日を迎える。

映画『栄光のル・マン』の撮影では、シフェールが個人所有するポルシェ・917(シャシーNo.917-024)が使用された。

シフェールは友人であるスティーブ・マックイーンの役作りのアドバイザーを務め、自分が身につけていたホイヤーの

クロノグラフ「モナコ」を着用するよう勧めた。映画公開後、「モナコ」はマックイーンの愛用モデルとして有名になった。


事故死
1971年10月24日、ブランズハッチで行われたノンタイトルF1レース「ワールドチャンピオンシップ・ビクトリーレース」に出場。

ポールポジションから出遅れ、4位まで追い上げていた15周目、

シフェールのBRM・P160はホーソーンベントでコントロールを失い、

コース脇の土手に衝突。シフェールは横転・炎上したマシンから脱出できず死亡した。

35歳であった。故郷フリブールで行われた葬儀には5万人のスイス国民が参列した。

死因は火災の煙を吸いこんだことで、事故調査では現場周辺の消火器がどれも機能していなかったことが判明した。

この悲劇の教訓から、F1マシンに自動消火装置やヘルメットへの酸素供給ホースを装備することが義務付けられた。