68年にスカイラインもモデルチェンジし早4年目を迎えていた。
その間50勝し以降 ロータリー勢の攻撃にあって次第に苦しさを増してきたのも事実であった。
富士スピードウェイのフルコースのラップタイムも2分の壁を破るもの目前というところまできていたが
重量の大きいGT-Rはポテンシャルはほとんど引き出したといってよく 大幅なタイムアップを望む事は
難しいのは明らかであった。4代目スカイラインも目前であったので GT-Rのレースも終わりに近づいていた。
72年5月の日本グランプリを目指して更に戦闘力を上げる準備が進められた。
マツダの新型サバンナRX3を主力とするロータリー勢は 更に戦闘力を上げる事が可能であり
打倒GT-Rを目指している筈だった。時期は排気公害対策で開発部門の応援が得られなくなり
クルマのチューニングすべて我々だけで独自に実施せざるを得なくなった機会に
車輌とエンジンについて全般的に見直した。足回りの見直しでは 不等ピッチのコイルスプリングを
試作して走行テストを繰り返し ようやく固まってきた。
新しいオーバーフェンダーもコレまで以上に空気抵抗を小さくするものが完成した。(ブリスターフェンダー)
=青地康雄著書より= |