フェアレディ240Z(S30Z)発売より 日産自動車スポーツ相談室から
74°レース用カムシャフトが出ていた。
勿論 レースに勝つ為の確かなハイパワーを約束する必須アイテム
Cam Shaft ♯13001−E4620 74°
アウタースプレー式
1971 11月発行
1973 12月発行
♯13001−E4621 センター給油式へ 74°
1979 10月発行
NISMOカタログ
13001-N3626 C cam ブルーカム 通称:輸出用68°カム(実質64°)
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NISMO 74°♯13001−E4621
♯21 刻印
猿の腰掛で偶然手に入ったNISMO74カムシャフトを現在組んでいる。
一度だけ小山自動車にエンジン調整を依頼した時に
当方はスポーツカム程度の認識で話をすると
大将が「いやいや けっこうエグいカム」と言わしめた逸品です。
スプリントから耐久レースに使えるハイカムです。
他に数種類のカムシャフトを持っているがリフトやプロフィールを比較してみると
今となっては捨て難い存在となっている。
私の経験上加工カムはほとんどが表面処理がなされてなく 寿命が短いので使う気になれない。
基本はベース円がノーマルに近い表面処理された“型起し”のカムを選ぶようにしている。
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私の取って置きのカムシャフトはスクーデリア日産のハイカム
スクーデリア日産はワークスドライバー横山達氏が主宰する部署でワークスをサポートする役割を担っていた。
セミワークス正谷栄邦選手のGT-Rにスクーデリア日産のデカールが・・・
他のセミワークス選手のGT-Rボンネット裏にも貼られていた。
あのGT-Rレース用マニュアルの末尾に相談はスクーデリア日産へとの記述があるほどだ。
私より若い世代のユーザーは「横山達」選手の事をご存じ無いかと思い
ココに記述しておきます。
・横山達 追浜ワークス:故人1998没
元プリンスワークスドライバー 1966年8月〜1970年までドライバーとして活動ニッサン7人の侍の一人
昭和30年卒業後、オートバイメーカーの陸王に出入りして、33年の第3回浅間火山レースに出場する予定でいたが、
メーカーがつぶれてご破算になった。
1963 第1回日本GPジャガーEタイプで出場、優勝。
その夏プリンスファクトリーに入る。
スカイライン2000GTで主に活躍し、41年第3回日本グランプリではR380で4位に入賞。
第4回日本GPスカイライン2000GTでは総合優勝を飾った。
同年10月には谷田部でR380Uで7つの国際スピード記録を樹立。
1966 日本GP R380 4位
1967 日本GP ツーリングカーS54B 優勝
〃 10月 R380A-Uスピードトライアル ドライバー 7種目記録樹立
1968 日本GP R380 3位
1969 日本GP R382 2位入賞 北野元のサブドライバー
ニッサンレーシングチームキャプテンを務め レーシングアドバイザーとして後輩の指導に当たる。
スクーデリアニッサン創設。
青地総監督の左隣 ワークスチームのまとめ役
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スクーデリア日産でも加工カムも取り扱っていたようだ。
前述にも書いたように私は加工カムは使わない。
スクーデリア日産にも“起し”のカムがある。
NISMO74°同様♯21刻印 NISMOベースの76°版カムシャフト
カムリフトも8.5と同様
当時でもスクーデリア日産のカムは手に入り難いとの記述があったが
今となっては非常に珍しいカムシャフト
「来るべき日のために」温存中
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