日産純正カタログに‘72 5 2 開催 日本グランプリ出場予定車が記載されている。

日産にとっては歴代日本GPは制覇しているだけに連覇を掛けて 当然勝ちにいっている。

1971 10 10 富士マスターズ250km フロントスポイラー初装着

1972 4 9 レース・ド・ニッポン ブリスターフェンダー初装着 となっているが

同 3月 L24を積んだGT-Rが富士をテスト走行している。

コレにブリスターオーバーフェンダーが取り付けられているところを見るとこのテストも兼ねていると見られる。


1972 5 2 日本グランプリ 富士スピードウェイ 6kmコース

=結果=

1・2・3ロータリー勢が独占!

高橋国光選手によってV50達成後の 51勝目が掛かったレース

GT-Rが負けたかのように見えるが クラスが異なるのだ。

------------------------------------------------------------

JAFの公式リザルトでは下記↓のようにクラス別に表示されている。










王者スカイラインとしてはクラスは関係無く総合優勝を続けてきた。

単なる「スカイライン VS ロータリー」の構図だ。

確かにめきめきとロータリーは性能向上し レースは壮絶を極めるようになった。

ここでメーカーの色が明らかになったのは

日産は“技術の向上”を主眼に置き2000ccに拘った、

対し東洋工業は“何が何でも勝たねばならぬ”と排気量を上げてきた。

ロータリーという型式(2倍換算)とレシプロを同等に扱うのは無理があるとしながらも

結果をみれば妥当だったかもしれない。


GT-Rは同クラスのロータリーには負けていない 周回数が違うほどの差はある。

スカイラインとしては 実質通算51勝目にカウントされている。

日本グランプリのような大イベントを富士の4.3kmなんてショボいコースでやったのか、

それも逆周りで・・・

コレで勝った勝ったとメーカー側やメディアはどうかと思う。

総合の10位までロータリー5台TS-bU(2400) GT-R5台TS-bT(2000) 同一周回で渡り合っている結果を見ると

逆にGT-Rのポテンシャルがいかほどなのか分かる。

確かにこの時期ぐらいから6kmコースは危険だという声は上がり始めていたが

それ以降でも1973まで6kmフルコースでレースは行われている。

富士と言えば30度バンクを使った6kmフルコースでの勝負が醍醐味だ。


以降 ロータリー VS GT-Rの構図は変わらない、あくまでも競うクラスが違うのだ。

ボクシングで言えば階級が異なれば普通は対戦は成立しない。

その縛りが無ければ 排気量が大きい方が優位に決まっている。

勝って当たり前 決して胸を張って誇れるものではない事は言っておこう。

逆に日本人的価値観から言えば「カッコ悪い」かも

------------ Icing on the cake -----------

同じ日産ワークスでも スカイライン開発部門とフェアレディ開発部門は異なる。

技術開発という上で連携があったとは思えない。

S20型エンジンとL型エンジンのチューニング手法が異なるからだ。


以前紹介したニッサンファクトリー体制 3部門

 R38シリーズの開発部門 第3設計部第8車両設計課(櫻井眞一郎)監督:青地康雄

     ニッサンファクトリー 3部門

・追浜工場 第1特殊車輌課 (フェアレディ担当)

・村山工場 特殊車両部第2特殊車両課 (スカイライン担当)監督:青地康雄

・大森分室 広報部宣伝第4課 (日産スポーツコーナー)

 ----------- - ----------- - ----------- - ----------- - ----

 あくまでも私見だがフェアレディを特殊車両部第2特殊車両課がやっていれば

もっと凄いL型エンジンが出来ていたのではないかと思う。


私が一番好きな「日の丸カラー」


=END=