1968 10月26日 第15回東京モーターショー スカイラインGTレーシング仕様出品
1969 2月 PGC10発売 生産台数:832台
1969 10月24日 第16回東京モーターショー
ネットにて検索するも PGC10の出展画像が見当たらない。
1970 10月5日 KPGC10発売 生産台数:1.197台
1970 10月30日 第17回東京モーターショー
ネットにて検索するも KPGC10の展示画像が見当たらない。
唯一見つかった像が2000GT
1970 12月2日 オヤジのHT・GT-R新規登録
オヤジから直接聞いた話で 行きつけのレース屋「小山自動車」にオヤジは4DRGT-Rを買うつもりで相談したところ 小山の大将は4DRより随分進化したハードトップが出るので待てと言う事だった。そこでオヤジはすぐディ−ラーに問い合わせたところディ−ラーはまだ社内通達は無かったようだった。調べてもらうと確かに出るという事ですぐに予約を入れた。一応の納期を聞いて待っていたがいつまで経っても入荷予定が立たなく オヤジはイラついていた。ある日切れたオヤジはディ−ラーに激怒の電話を入れた、コレは子供だった私も覚えている。そして本社から 生産が追いつかず確かな納期が出ないという事で 今東京モーターショーに出品している現車なら終わり次第 船便で送る という話になった。その話が本当ならば当時のモーターショーの映像に残っているに違いないと思い探していた。2000GTがかろうじて見つかったがHT・GT-Rは見当たらない。モーターショーではなく 本社のショールームに展示していたものと勘違いしたのではないかと思い直したが いやいや「東京モーターショー」と確かに言っていた。オヤジのGTRはフレームナンバー♯94と非常に若いのがその“証”だと思う。オヤジが夜に着船する地元の港まで受け取りに行って乗って帰ってきたのを覚えている。当時の私はGTRがどんなクルマなのか知らなかったので見た目で後ろだけ黒いオーバーフェンダーが付いているのを見て なんてアンバランスでかっこ悪いクルマなんだろうと正直思った。夜な夜な助手席に乗って「慣らし」に付き合ったが シートがリクライニングしないので 何と寝難いクルマなんだろう とも思っていた。納車後すぐに家にはあるはずのGTRがガレージに無く 1週間後に帰ってきた。小山でエンジンの初期慣らしを時間をかけてじっくりやってもらっていたと言う。そしてリアオーバーフェンダーは車体色と同じシルバーになっていた。何故色を変えたのかを聞けなかったのが今となっては惜しまれる。新車から8年所有し手放してから私が乗って帰ったのは何年ぶりの事だったのだろうか。計算すると29年ぶり・・・ オヤジも年を取り助手席に乗せて走った時 懐かしそうに黙って室内を見回していたのが印象的だった。私のスカGに乗せたのはこの一度きり。私が年数をかけて これほどスカGに執着していたとは思わなかっただろう。 |
東京モーターショー閉幕 ⇒ 輸送 ⇒ 登録 を当時の動きで考えると 期間的には合致する。
上には上があるモンで オークションに出店されたKPGC10はフレームナンバー♯23だった。
現在日産ギャラリーに展示されているHT・GT-Rは フレームナンバー♯1405
1971 10月29日 第18回東京モーターショー
1972 3月〜8月 生産分に“5SPEED”エンブレム 累計31万447台(GTR:2.029台含む)
1972 10月23日 第19回東京モーターショー KPGC110レーシングヴァージョン出品
KPGC110の展示は無かったようだ。
1973 1月 KPGC110発売 累計67万562台(GTR:197台含む) 輸出含め約73万台