ある時 こんな画像を見つけた。


これは‘70 JAF GPのひとコマ

♯58 ガンさん車 赤は国さん車

「愛のスカイライン」イメージ俳優 蟇目良さんではないか!

ん? でもこのアングル 何処かで見たような・・・

ヘルメットも違えば ウェアも違う、わざわざ宣伝の為のショットだろう。

日産も宣伝にえらく力が入っている。

こうやって見ればモノクロでも分かるボディの映り込みを見れば ワークスPGC10R3台 ピッカピカに磨き込まれている。


トッペイちゃんのPGC10Rもピッカピカ

この‘70 JAF GP にエントリーしたワークスPGC10R

GTR開発段階も次のステップに入り 大きく変わる段階に入った印象的なレース、

コーナリングスピードを上げる為にホイルをワイド化する必要がある。

1969年末にはかねてより開発を進めていたマグネシューム鋳造ホイルが完成した。

フロント:8インチ リア:10インチ

それをボディに収めるよう空力を考慮したオーバーフェンダーを‘70年3月 JAFに申請。


同年 18勝目 4 12 レース・ド・日本からこのオーバーフェンダー&マグホイルを採用

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1970 5 3 JAFグランプリ



ポールポジション ♯58 黒澤元治(ワークスドライバー)


セカンドポジション ♯56 箕輪真治(セミワークス)


サードポジション ♯59 都平健二(ワークスドライバー)


フォースポジション ♯57 高橋国光(ワークスドライバー)

2番手の♯56 箕輪真治選手はセミワークスだが直前に自分のGTRを壊してしまった。

メキメキ腕を上げてきているのでワークスエンジンを供給した結果がコレである。


実質このレースがマツダとの初戦になった。

昨年は富士スピードウェイを席巻していたのはトヨタ1600GTであったが 今年はサーキットから姿を消した。

一方 マツダは海外で実績を積んできたファミリアロータリークーペを国内に投入してきたのだった。

日産が認識していたドライバーは片山義美、武智俊憲、

空力にも優れ 軽量でハイパワーなロータリークーペは強敵である事は認識していた。

このレースの前 予定していた開発パーツがすべて揃い 大幅なタイムアップが期待されたが

思うような更新は出来なかった。そこで分かった事が エンジンを組んで富士のコースを100周も

すれば エンジンパワーがかなり落ちていることが分かった。(ここで“旬”がどのくらいか把握)

レースは予想通り4台のGTRと2台のロータリーの一騎打ちのトップグループ、

スタートはロータリーに先行され コーナーでGTRが巻き返す。

4台のGTR、2台のロータリーはチーム体制を組んでバトルを繰り返すが

ロータリーの片山がタイヤバーストでその体制が崩れた、

周回遅れで復帰 武智車をサポート。

しかしその後高橋GTRもタイヤバースト、2周遅れで黒澤・都平車をサポートする展開。

レースは周回を重ねるうちにロータリー勢は少しづつ差を広げられてGTRがリード。

結果 黒澤、都平選手のワンツーフィニッシュに終わった。






この時のサスセッティングは「スプリングは柔らか目にして ロールはスタビライザーで抑える」方向であったが

最終ワークスGTRセッティングも黒澤選手が突き詰めた結果 同様の結果となった。

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ワークスGTR この3台の個別の紹介は無い。

モデルで紹介しよう。














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