富士スピードウェイ 6kmコース

Wikipediaより









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スカイラインGTRの活躍の場は 富士スピードウェイ6kmフルコース(右回り)を外しては語れない。

この超高速コースが出来たお陰で 日本でのモータースポーツの高速化の対応が加速されたと言っても過言ではない。

↑上記Wikipediaでは30度バンクがいかに危険か かのように記されているか 私にはそうは思えない。
亡くなられたドライバーたちを軽視する意図はありません。

別項で富士スピードウェイでの事故分布を載せたが 30度バンク部分での事故は言うほど多くは無い。


また 当時のレーシングドライバーの証言からも 「あの30度バンクは危険だ」 と言うのも聞いたことが無い。

走る事が仕事なので“弱音”を吐けない というところもあるのかも知れないが・・・

確かに度胸が要るのは間違いないだろう。

それと↑上記の「レコードラインが1本しか存在しない」だが 

レコードラインが1本しか無いのは 何処のコースでも同じ。

本当にそこを走るのにそのラインしか無いと言うなら分かる。

書き手の意図は何となく分かるような気がするが・・・

様々なレースを見ていると レースの駆け引きでは30度バンク内を縦横無尽に走っている。

‘69日本グランプリではJo Siffertがスタート後 4番手でバンクに進入 ラインを下に取り2番手に上がる、

レコードラインは路面上で色が変わっているラインだがSiffertはそのラインから

はるか下のラインだった、普通では考えられないライン。少なくとも私は度肝を抜かれた。

コレを見て流石本場のドライバーは違うなと感心した。

‘72 日産ワークスGT-R最後のレース 富士マスターズ250キロでの駆け引き

4台(ロータリー3台・GTR1台)が固まりとなり 毎周30度バンクに進入し攻防を繰り返す様が記憶に残る。

特に黒澤選手の「何処からでも抜けるぞ」と言わんばかりのライン取りがすばらしい。

PS.フレーム剛性が弱いツーリングカーはこのバンク中でフレームがよじれ フロントガラスが外れたり 割れたりしていた。


いずれにせよ 名物“30度バンク”が無くなった事は残念だが 見る観衆にとっては見応えがあった事は確か。

このコースの恩恵は我が日本のモータリゼーションに大きく貢献してくれたのは明らかだ。


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