C10スカイラインのデザイン秘話公開 掲載:ノスヒロ 2012 4 Vol.150 抜粋
ハコスカに携わった3人のデザイナー
森典彦/八木沼秀夫/松宮修一
C10スカイライン(以下ハコスカ)の人気の秘密をさぐるため、今回はハコスカに携わった3人のデザイナーに集まってもらった。すると今までオープンになっていなかった新事実が続々とあらわになった。
これが「丸テール」の原点か!? 2代目スカイライン
2代目のスカイラインになるはずだったEZSP(E型1.2Lエンジンを積む計画でEという名称にしたが、エンジンは計画のみ)と呼ばれるクルマのデザインを森が担当した。その後、AZSP(FG4A型1.5LエンジンのAを名称に使用)も計画された。デザイナーとしての信念に基づいて、丸形2灯でグリルレス(バンパーの上に細長いグリルはあるが)と丸形リアランプのクルマをデザインした。これがスカイラインの丸形テールランプの原点と言われている。
「丸テール」そのルーツと言われるもう一つのストーリー
ハコスカ誕生の陰に重要な役割を果たしたデザイナーがいる、鈴木潔だ。
60年にデビューした初代ALSIスカイラインのマイナーチェンジには2つの特徴があった。1つ目は4灯式ヘッドランプ。2つ目はテールフィン。その下にコーン状の突き出した丸形テールランプが存在する。それをデザインした鈴木はスカイラインの丸形テールランプのルーツと主張するのだが、解釈は読者にまかせることにする。
64年9月に鈴木はJETRO(日本貿易振興機構)を通じて、カリフォルニア州のアートセンター・スクール(現アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン)に留学することになった。9カ月の留学を終えて帰国する機内の新聞でプリンスと日産の合併を知った。帰国した鈴木はC10系ハコスカのインテリアの担当になった。鈴木は留学の成果を上司や同僚に報告した。アメリカで自分が描いたスケッチを披露した。この中に名車ハコスカが誕生するヒントが隠されていたことを森は見逃さなかった。
「ハンカチを広げて、その下からカーブ定規でハンカチを持ち上げると、テンションの効いた曲面ができる。これがアメリカでははやりそうですよ」と鈴木は森に話した。
「このやり方だと生き物の形と共通するものがあると直感しました。クルマとして面の扱いが画期的なものになると予感した。張りのある生きた面ができるだろうと考えました」と森。
ハコスカの5分の1クレイモデルを見た上司の中川良一専務や田中次郎部長は「これはいい。やっと素晴らしいクルマが出てきた」と絶賛した。他社のクルマはほとんどがクレイモデルを削ってできている。どのモデルも削ると同じような面しかできない。ハコスカは中から押し出すデザインで、まさに筋肉のようだ。すべての皮膚(表面)は中から持ち上がっている。生き物みたいなデザインは面と面の境目がない(エッジレス)ものになった。
宣伝を担当したアートディレクターの秀男が命名したサーフィンライン(元はサイドストリークライン)も中から持ち上げられたもので、フロントのバンパーの側面を起点にしたラインとリアのホイールアーチの上を走るラインで構成される。後にGT-Rではホイールアーチ上のラインは大胆にカットされることになる。
初期のフロントデザインを担当したのは八木沼だった。森はデュアルランプを1つのものに見せたかった。「ここはこういうふうに変えたほうがいい」と森は助言した。森はフロントグリルに表情を出そうと、フロントエンドのランプの上の部分をやや削って眉毛の形を作った(唯一削ったデザインの部分)。森は最終的にランプを囲んだ輪郭を付け、ランプの間に透明なアクリルを入れ、1つのランプのように見せた。
この頃、ハコスカのスタイルの評判はどうだったのだろうか。
「売れなさそうだが、良いとも悪いとも言えない。これは変なクルマだ。売れ行きが非常に心配だ」とプリンス自販は戸惑いを見せた。
一般のユーザーには理解しがたい形だった。ルーフはダブルバブルより複雑なW形の谷がある。ボンネットにもW形の谷があり中央には稜線がある。トランクリッドとリアエンドにも大きな起伏がある。
このクルマを見るにはボディカラーが大きく影響する。それを担当したのが鈴木だった。このハコスカはただのホワイトのパステルカラーだと、陰影がわかりにくい。当時「銀バス」(濃銀に青帯)があったが、それと同じでは面白くないので、やや赤みのある黒を入れて暖色系のダークシルバーに仕上げたメタリックは彫刻のように美しく輝いた。ボディデザインの思惑を見事に表現したダークシルバーのメタリックの果たした功績は大きい。
「ハコスカがデビューした時、市場の反響は大きくなく、ソリッドなカラー(原色で組み合わされた色)では街の中では目立つことなくべたっとした感じがした」と森は思った。しばらくしてメタリックの時代に入った途端に元のハコスカデザインの意図が鮮明に出始めたので安堵した。
その筋肉のようなデザインのために苦悩した男がいた。八木沼である。八木沼はデザイナーだが、エンジニアでもあった(当時のプリンスでは当然だった)。普通、線図は40日くらいかかるが55日もかかった。
発掘スクープ!! ハコスカには違う未来があった!?
「S75スーパー・スカイライン HT2000GT‐R」
今回のインタビューの核心部分に入る。松宮がデザインしたスカイラインのスポーツカーの話だ。
森が当初狙った情緒のあるフロントの表情を松宮は進化させた。松宮はC10スカイラインのマイナーチェンジとハードトップで、グリルの中に眉毛を作り、よりダイナミックにした。いわゆるダブル眉毛デザインになるのだが、フロントエンドの削った眉毛部分は目立ちにくかった。
スカイライン・ハードトップのデザインの前に「S75」と呼称される「スーパー・スカイラインHT2000GT-R」(仮称)の線図の存在に触れなければならない。これが今回の発掘スクープだ。
「S75」のフロントはスポーツカーのような流麗なラインを描いている。スカイライン2000GT-Rのフロントオーバーハングは705mmだが、「S75」は773mmで、スカイライン2000GT-Rよりもさらに68mm延長される。が、ラジエーターの位置は同じ。フロントエンドは大胆に低くなり、フェンダーも変更された。まるでフルモデルチェンジのような変化だった。
フロントは、森の当初からのデザイン意図をより鮮明にし「ハコスカをスポーツカーにしたらこうなる」というデザイン。フロントエンドの眉毛部分だけにし、グリルにはモールもなく、大胆にブラックアウトされ、すべてパネルで構成されていた。ランプはより吊り目を強調したものになった。レーシングカーのようにバンパーはなく、グリル下には大きなエアインテークの孔が開いている。「S75」のデザインは高性能を示唆していた。もしこのスーパー・スカイラインがレースに参戦していたら、50連勝以上したに違いない!
松宮はメッキもグリルもない純粋なスポーツカーにしようと思った。グリーンのクレイのストックがあったので「S75」の1分の1クレイモデルを造った。そこで資金的な制約から上層部が開発中止の判断を下した。
「このクルマでスポーツカーの世界に一石を投じたかった。すぐにでもレースに出られるようなクルマでした。上層部に熱い思いは通じませんでした。でも、結果的にはハードトップの二重の眉毛のデザインが4ドアセダンにも採用された。私のデザインがユーザーの皆さんに受け入れられたことは、デザイナー冥利につきます。ただ森さんのデザイン意図を忠実に表現しただけです。ハコスカのマイナーチェンジの陰には『S75』という幻のスポーツカーがあったことを忘れないでほしいですね」と松宮は声を詰まらせた。
この線図には名称LINES BODY、型式記号74‐1、番号5000 1‐0703Pと描かれている。さらに、田中次郎、藤田喜作、渦尻静、森典彦、片柳重昭、伊藤烈、坪井勲のサインが残っている。
松宮はこのモデルを「S75」だと主張しているが、図面では「74‐1」になっている。これは単なる図面上の数字で「S75」という松宮案を筆者は採用することにする。
66年4月26日や66年9月2日の日付もかろうじて読めるので、68年8月にハコスカが発売される約2年前にこのデザインがされていたことになる。
ここで松宮から面白いエピソードが飛び出した。松宮がGT-R(GTの2文字の下に大きなRがある)のエンブレムをデザインした後の話である。ハードトップのリアクオーターピラーの中央に円の中に入った「S」のマークがある。その円は松宮がポケットにあった1円玉を5分の1クレイモデルにぴたっと押しつけてデザインしたものだ。「1」という数字を「S」に置き換えてデザインし直し「これでいいですか」と森にお伺いをたてたらOKが出たという。
ハードトップにはピラーの細いB案が存在した。
さらに松宮のハードトップの話は続く。ハードトップにはB案が存在したことがわかった。リアクオーターピラーは量産モデルよりも細く、ピラーの下部でくの字に折れ曲がっている。これはガラスを収納をするためである。フロントピラーとルーフの接点はやや角張っている。このハードトップのB案は採用されなかった。
A案は70年10月にはハードトップとして発売されている。量産モデルはフロントウインドーとルーフの接点が丸く流れるデザインになっている。リアクオーターピラーとウエストラインは滑らかにつながり、力強さと流麗なラインを形成している。
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最後に今回のメインテーマである「名車ハコスカのデザインの秘密」をまとめてもらうことにした。
ハコスカはクレイモデルを先に造り、それを計測するパターンではない。線図を優先させた最後のモデルである。このことが人体のような中から盛り上がるデザインができた理由である。ボディの面の変化が一定ではない。どこをとってもラインが徐々に変化している。現代のようなクルマの一定のアール(曲面や曲線)ではない。例えば上は小さいアールで、下は大きいアールになっていた。そして、その異なったアールを接合していく。その間を緩やかなアールでつなぐ新しい手法だった。
これがハコスカのボディは筋肉のようだと言われる理由だ。幸運だったのは鈴木が考えた赤みを混ぜたブラックのシルバーメタリックのカラーが微妙なボディを輝かせたからである。