武漢肺炎もすでに3年・・・

家に帰れていない

その間オフクロは脊椎圧迫骨折 治癒後施設へ(老人ホーム)

アルツハイマーもちゃくちゃくと進んでいるという。

オヤジが死んでもう何年経ったのだろう

ふと実家を想像すると オヤジもオフクロも居ない。

兄貴の家だ。

私が想う“懐かしき故郷”が少しづつ薄れてゆく。

やはりつくづく想う事は 自分のことだけ考えていれば良かった「良き思い出の故郷」

実際は高校までしか居なかった実家だが

社会人になっても帰る暖かい実家があるということが実に嬉しい事だったと気付く。

もう出迎えてくれるオヤジもオフクロもあの実家には居ない。

寂しい

でもオヤジが生まれ 愛した故郷が恋しい

“オヤジの匂い”が残っている故郷

帰りたい

------------ after a long time -----------

上の投稿から随分時間が経った。

先日息子からオイルライター要らないヤツがあれば欲しいと聞かれたので

滅多に開けない引き出しを開けてみた。

もう忘れていたが結婚する以前のものやいつ買ったか分からないGOOSDが沢山出てきた。

その中に綺麗な化粧箱があったので開けてみると時計が入っていた。

その時計は私が高校に入ったお祝いにオヤジが買ってくれたもの。

SEIKO製の自動巻き&手巻き 当時3万ぐらいした時計だった。

ウチの節目節目の伝統は 中学入学には「万年筆」 高校は「時計」だった。

その時計は私が四十になるまで普通に動いていて使っていた。

動かなくなり二・三年経ったところで お客さんが腕が良い時計屋さん知ってる と言うので

修理に出した。なんせ古いので諦めていたが見事復活、

それから五年は動いていたが遂に動かなくなり保存していた。

しかしたまに何処に置いたか探すも見つからず 今回こんなところから出てきた。

以前ウチのお客さんで時計マニアがいて80万する時計を普段普通に使っていた。

私が「もったいない」と言うと ○○さん(私)もスカGを普段に使っているじゃないですか と言う。

同じですよ と突っ込まれた。

確かにスカGはそうだけど 私にとって高価な時計は普段使いでは“もったいない”派なので

余所行きにしか使わない感覚なのです。

そしてそのお客さんが自分の時計を自慢していたので 価値観を試してみた。

その新しい高価な時計と 私が高校から使っている時計、どちらに値打ちがある? と聞いてみた。

しばらく微動だにせず考えていたが コチラを指差し「○○さん(私)の」と言った。

このお客さんは同じような価値観でほっとした。

最近は街の時計屋さんをトンと見なくなったので 機会があればまた修理に出してみたい。

オヤジの遺品になってしまった時計もあるし 今は私が還暦の時家族みんなでお金を出し合って

買ってくれた時計をしている。

今年 年金をもらえる年齢になってしまった。


To be continued.