石原慎太郎 名言
「厳しい時代を迎える新成人に向けてのメッセージ」を問われて
人間の価値って“人と違うって事”なんだからね。
人間同士の連帯の中で人間は生きていかざるを得ない、
付き合いの中で評価される その所以というのは人と違うと言う事、
つまりそれは別の言葉で言うと“発想力”だと思う。
やっぱり人間の違いって言うのは勿論“個性”だ。
個性とは何で際立ってくるかと言えば 自分が持っている情念
ソレを踏まえ自分の感性というものを磨いていかなかったら
人との違いが出てこない。
横並びに同じような人間になったって誰も評価しないし
そんな人間がそれで満足するなら実につまらん人生だと思う。
若い諸君に今からでも遅くない 何でも趣味を持つ事、
趣味を持つ事でもっとうまくなりたい
うまくなろうということで工夫する つまり大脳が働いてくる・・・
石原さんが言いたい事 最近私が思っていた事とピッタリ符合する。
私の時代は「個性」とは見た目ではなく 内側から出てくるものを指していた。
それがいつの間にか「見た目」に重点が移っている事に驚く。
オヤジからよく言われた事に「趣味にも一生懸命にならんヤツはモノにならん」
言い方は違えど同じ事を言っているのだろう。
昔ウチでもTVゲームのグラツーが流行った。
始めたのは皆横一列 同時期に始めた。
ゲーム内のあるコースでのラップタイムを競うようになった。
8割は最初ペロっと舐めた程度で辞めてしまった。
残り2割は あいつがベストラップを出したので自分はその上を行こうと頑張る。
ソレを繰り返しているうちに ポロポロと各メンバーが脱落していく。
残り数人が相も変わらず切磋琢磨し競い合っている。
そんな中 自分なりに頑張っていた人が聞いてきた。
「田口君 今何秒で走っている?」
私は○○秒です というと
「あ〜 自分は2秒落ちだ、まぁ そんなモンだろう」と満足している。
いやいや 私が出せるタイムなので ちょっと頑張れば出せますよ と言うと
いやいや自分は頑張ってもそんなモンだ、と言う。
自分で限界を決めているのだ、それでは伸びる訳もない。
残るライバルはひとり 当初は私に○○秒越えてから勝負を挑んでくれ と言われた。
周りでは“ゲーマー”と呼ばれるぐらいうまいやつだった。
その秒数以下ではその人と勝負にならないと言う意味だ。
どうやればタイムが出せるか 何度も何度も繰り返しタイムアタックしていくうちに
このゲームは実車に近い乗り方をすればタイムが延ばせる事に気が付いた。
グリップ走行にライン取りが命
そのゲーマーが出したタイムを上回るタイムが出るようになった。
タイム更新する度にお互い連絡をしてしのぎをけずった。
そんな事を繰り返していくうちにそのゲーマーがギブアップした。
「俺はこれ以上のタイムは出せない」と。
ゲーマーはノーマルのコントローラーで 私はラジコン型のコントローラー
そのゲーマーはラジコン型のコントローラーではタイムは出せないと当初から言っていた。
一応使ってみてその結論を出したようだ。
それから自分のタイムを数度更新して私も辞めた。
ライバルが居るから面白かったが 居なくなると気合が入らないのだ。
そのタイムはゲーム誌で全国から公募して今月の1番とよく紹介されていたが
そのタイムを5秒近く上回っていた。
この一連の流れを見ていて 「世の中の縮図」を見るようだった。
多くはすぐに心が折れやめてしまう、頑張ろうと言う気構えが見受けられず すぐ諦めてしまう。
残りの少数派の中でも 自分で限界を作ってしまい 自分なりにコレが限界と満足する。
この仕事でも常に頭に入れていた事は 「上には上が居る」と言う事。
その上に一歩でも近づき あわよくば抜きたいと日々切磋琢磨を続ける事
バイクで言えば「より速く」走らせるにはどうすれば良いか
それを毎日毎日無い頭をフル回転させ実施 検証する。
コレをずっとたゆまなく続けていけば 追随してくるものは居ないだろうと信じやってきた。
日本を引っ張ってきたのは 「発想力やソレを具現化していく力」だと思っている。
「ものづくり日本」
その源が個々の奇抜な発想力や探究心 たゆまない好奇心 だと思う。
ソレが失われつつある現状に日本の未来の危機感が隠せない・
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