何か急に私がXRと出会うまでの流れを書いてみたくなり 略歴をココに綴ってみます。

乗ってみなければ分からなかったレベルの違い 今にして気付く“XR”の良さ。

私が言うまでも無くウチに関わったユーザーさんはすでに分かっていることだと思います。

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私のバイク暦は18歳 大学1年生、TS125から始まった。

お金持ちの同級生は新車のDT125(モノサス)

同じオフを始めたのにDTには敵わなかった。

サスの違いは致命的だった。

DTは2ストのわりに低速からトルクがあり全域にフラット、

サスは“雲の上を走っているかのような”感触。

対しTSは中速からパワーが急に出る(段吹き)特性、

サスはストローク10cm程度 オフでの走破性は目の前のギャップを

無視できない貧相なものだった。

翌年 やっとDTに乗り換えた。

乗って初めて気がついた サスが違い過ぎてこれは敵うわけが無い事に。

ただ「根性論」で腕を上げれば何とかなると思い込んでいた。

次に初めて新車のXT250を買った。

その当時オフ車の定番は2ストが当たり前で4ストに勝ち目が無いと言うのが

世間の風潮であった。

輸出向けにTT250と言うのがあり それに保安部品が付いたバイクと聞いていたからだ。

オフで4ストと言うのは初めてだったけれどショートストロークで吹き上がりは小気味良く実に気持ち良かった。

ただやはりひと回り車体は大きく 取り回しも重かった。


                    
XTをTT風に すべてDIY

同時期にあまり乗らなかったがモトクロッサーも持っていた。

その地域はスズキとヤマハが強いところであった。

RM125 3型 次には4型

                 ↓

当時のモトクロッサーは実にピーキーで素人にはとても乗り辛らかったが

足回りの良さには非常に感動し ショッキングでもあった。

そんな時バイク雑誌に新型のオフロードモデルが発表になり 輸出モデルも載っていた。

話によればその輸出モデル(逆輸入)は国内市販車とはノーマルレベルで比較にならない差があると聞いた。

私にはXRのカッコ良さは群を抜いており いつしか憧れの夢のバイクになっていた。

しかしその当時逆輸入車は国内市販車の倍以上していたので到底手が届かない。

ただ指をくわえ “雲の上のマシン”と羨ましく思っていたが 回りで現車を見る事もまず無かった。

XT購入後半年 そのチャンスが訪れた。

県外の販売店に現車を見に行ったときの衝撃は今でも覚えている。

250は高過ぎて 初の排気量200が目的だった。

現車は思ったより大きく細く実にスパルタン “カモシカ”のよう 

走るために不必要なものは一切無く 必要最低限の装備が実にシンプルでカッコ良かった。

跨ってみると175cmの私でも両つま先が着く程度 ツンツンだった。

当時モトクロッサー以外 フェンダーとタイヤの間に頭が入るオフロードモデルは無かった。

サスストローク200mm以上あって ブレーキを掛けて円運動出来るなんてあり得ないサスだった。

見に行っただけなのに店主がどうしても売りたかったらしく「学生ローン」と言うものを持ち出してきた。

私はもう欲しくて欲しくて衝動を抑えられなくなりその場で購入を決定。

XTを即売って頭金を作った。XR200Rが手元に来てしばらくして「これ1台ですべてを満足出来る」と

思い モトクロッサーも売ってXR200R1台になった。4ストなので燃費が良く 通学・ツーリング

・モトクロス走行 これ1台ですべて賄えた。それに珍しいバイクだっただけに所有している優越感。

乗って良し・眺めて良し・そして所有欲 すべてを満足出来るモデルだった。特筆はやはり走行性能だ。

いつものコースでモトクロッサーとほぼ同タイムが出せていたことだ、ジャンプも着地を気にせず思いっきり飛べた。

若気の至りとはいえ このXRに乗っていなければ今の私は無かっただろう。

まさに“目から鱗” 経験してみなければ分からなかった事。

いつまで経っても国内市販車を乗り換えると言う事を繰り返していたと思う。

逆に言えば 同じホンダが作ったオフロードモデルが国内には“オフロードのようなもの”しか売らず

本格的なモデルは輸出のみ・・・ 学生ながら非常に腹が立った。

今もそのスタンスは変わっていないと思う。

その差はME06まで少しは縮まったかなと思うが MD30になりその差は拡大、

トータル性能は逆車にはやはり敵わない。

なにせ開発コンセプトが根っこから違うのだから。

ホンダXR開発者曰く「国内はツーリングモデル 輸出は本格的オフロードプレイバイク、国内市販車が

を輸出用XRを超えることなどあり得ない」と。

結局学生の頃からこの京都に来るまでの8年間 オールストックでスプロケットも変える事無く

走り続けていた。リア純正で50T コレで高速80km/h巡航をよくもしていたものだ。

確かにエンジンは唸っていたがクラッチも変える事無く ノントラブル 絶好調であった。