Webの画像検索で ある画像を見つけた。
この話も何処かで書いたと思いますが あらためて書いて見たいと思います。
私はメーカーに入ってバイクの開発に携わりたかった。
なので大学では交通機械全般が学べるところを探し 設計を専攻した。
就職活動は勿論バイクメーカー4社
SとKはバイクサークルの延長上だと判断し 受けるのはHとYに絞った。
まず試験がY社が先だったのでそれに備えた。
会社訪問で 噂に聞いていた「学閥」を感じ 無名の大学なので普通のやり方では受からないと思い
無い頭を絞って ある策を企てた。
当時モトクロス界では リアサスは2本ショックが主流の中
Y社は「空飛ぶサスペンション」と言われたモノサス採用で
他社は太刀打ちが出来ずにいた。
この業界の開発は日進月歩 すぐに他社はリンクサスに変更された。
Hはプロリンク Kはユニトラック Sはフルフローター と。
Y社は長年モノサスに胡坐をかき 他社の方が性能を上げ 逆に太刀打ちが出来ず低迷していた。
Y社に受かるには画期的な他社には無い プログレッシブな動きをするリンク構造を提案するしか無いと。
構成パーツが少なく プログレッシブな圧縮構造を持つもの 車体からはみ出さない などを条件に。
※プログレッシブとは 初期の作動は柔らかく 大きなショックには腰が出る 非線形な動きをするもの。
以上の条件を基に 自分が考える構造のモデルを作り持参した。
リンクの寸法や比率などはメーカー側で検証してください と書き添えた。
大企業の製品にはほとんど「特許申請」されているので模倣は許されない。
試験前 Y社の受付の綺麗なお姉さんに「コレを開発部に渡してください」と差し出すと
「はぁ〜?」と言う反応の後に 意図が分かったのか「はいっ」と受け取ってくれた。
裏にはしっかりと自分の住所・大学名・氏名を明記した。
三次の最終試験まで行ったが 未だに合格通知は来ていない。
その時私が22歳 44年前 昭和56年の事
そのリンクの構造は
まさしくコレだったのだ。(今でも使われている)
それから約3年後 この構造でロードやオフモデルに採用されて販売されていたのでした。
ははぁ〜ん やりよったなぁ〜 と正直私は思った。
ただ 私が考え付くぐらいの事なので とっくにメーカーは考えていたとも思うのだが
いやいやいやいや
データ取りし実用化に要する時間 ドンピシャだ。
これ等の画像を見つけた時 そんな経緯があった事を思い出したのでした。
ちなみに面接まで行ってY社の印象は 「お役所みたい」だった。
堅苦しく 自分の色を嫌う社風 ただの“駒”を探しているように思えた。
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