久々に古くからの常連(友人)さんが来てくれた。

いろいろ話をしている中 「XRに乗ってから楽しかった」と言った。

勿論ウチと関わってからの事です。

「XRが2ストのように走るのは感動した」とも。

あとで当時からやってきた事を思い出すと 普通のバイク屋さんの領域を遥かに超えた事が

中心の作業だったとつくづく思うのです。


ウチのやってきた仕事を思い返せば・・・

一応バイク屋です。

しかしバイクだけ売って生業を立てて来た訳ではありません。

逆輸入車のXRを販売しつつ 同時にレース参戦の為チューニングを敢行、

2004年以降 XRが無くなって お勧め出来るバイクが無くなり オーバーホールやチューニングがメインに。

もともと1985年頃 チューニングパーツも外品や既製品を使っていました。

レースという場で当初それらを組んで出て3年に渡り良く壊しました。

4サイクルはもともとそんなにしょっちゅうエンジンを開けるものではありません。

当時は2ストの倍は耐つものです。

それがレースの度に煙を吐いたり オイルが減ったり・・・

XRが優秀なのは壊れてリタイアは無かった事です。
(勿論コレが本来の姿ではありませんが)

ノーマルは何故壊れ難いのか と言う原点に立ち戻り

それに大学で専攻した材力や設計を含めた機械工学にも立ち戻り

チューニングというものをイチから見直したのでした。

その原因は使っていた外品チューニングパーツにありました。

そういう意味で品質が良く 利に適っているは利用させてもらい 

無いものは作る と言う体制にしたのです。

機械も旋盤 ボール盤 コンター アルゴン アセチレン ブラスターなどを設備し

いつでも思う部品が作れる体制を作った訳です。(特にジュラパーツ)

お店のRVF-Rを製作するにあたり メーカーのバイクがいかに良く作られているかを身を持って経験しました。
(RVF-R製作秘話はこのホームページの何処かに書いていると思います)

そんな事の延長でユーザーひとりひとりにオーダーを合わせ マシンを作る事が出来たのです。

今から考えればPJキャブなどかなりの数が出ましたが

バイクにボルトオンに付くように1個1個オーダーが来る度に旋盤回してよく作ったなぁ〜と思います。

今 周りを見渡せばそんなバイク屋はほとんど見当たらなくなりました。

ウチにとっては普通の事ですが 今となっては珍しいバイク屋なのでしょうね。


ユーザーさんと話をする中で様々な話題に飛び火するのですが 言われなければ忘れているような事ばかり、

そう考えれば普通のバイク屋さんではやらない事をいろいろやってきたのを思い出すのです。

ユーザーは勿論 業者を含め かなり立ち入った疑問にも聞かれた事にはほとんど答える事が出来るというのは

それだけの事をやってきたからだと つくづく思います。

おもろい話も山盛りありますが ホームページなどでご披露する事も無いでしょう。

最近人と話をする中で あれもやった コレもやった と言う事を思い出す事が多く

充実した日々を思い出すのです。


従来バイク乗りは同じ車種でも人との違い 自分だけの仕様を求めてきたものですが

ユーザーもZ世代に入り その声はまったく聞こえなくなりました。

ややこしい故障であちこちで断られ 流れ流れて最後はウチへ、昔からのパターンです。

でもそんな修理もノーマルの延長上なら なるべく断るようにしようと思います。

残り時間が見えてきた現在 今後は本来のウチの仕事に沿ったものしか受けないと思います。


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