1972 3月20日 GC第1戦 富士300キロスピードレース〜通算50勝目以降の戦跡
‘72 4月9日 レース・ド・ニッポン(雨)
日産ワークス(村山系)GT-R 31高橋/長谷見 32鈴木/辻本 2台出走 セミワークス 33久保田/杉崎 1台 計3台出走
31首位を走るがプロペラシャフト破損でリタイア、中盤32エンジントラブル 33ダイナモブラケット破損リタイア
総合結果 優勝ワークスセリカ 2位ワークスチェリー 3位プライベーターGT-R(伊藤/清水)
‘72 5月3日 日本GP ツーリングカー(TS-b)レース
スカイライン15台 対 ロータリー13台 対決
グランプリ仕様ワークスGT-R:ブリスターオーバーフェンダー、ピストン頭部改良→圧縮アップ、燃焼室形状変更230PS+α ウェイト:930kg台
ラップ:1分32秒台 ドライバー:ワークス 高橋、北野、長谷見 セミワークス:久保田、杉崎、河原、正谷(ワークスと同じインジェクション装備)
ロータリー:12Aエンジン RX−3登用 ウェイト:760kg前後 220〜230PS ラップ:1分32秒台
3高橋が予選2位以外上位5台はロータリー レースはロータリーとGT-Rの攻防戦が最後まで続くがRX−3とカペラは最初からまったく他車を
寄せ付けず1・2フィニッシュ 3位の高橋GT-RにRX−3は2秒の差を付けた。5位北野 6位長谷見 7位久保田 ワークスGT-R惨敗
この頃から前座レースといい 激しいぶつかり合い 当て合いが加速してゆく。
5月21日 全日本オートスポーツトロフィーレース第1戦
プライベーター久保田GT-R 対 プライベーターRX−3従野 対決 優勝:RX−3従野
6月4日 富士グラン300マイルレース
予選ラップ:2分00秒05をマーク16黒沢GT-R
決勝:15高橋 16黒澤 21久保田 の1・2・3フィニッシュ 水をあけ4・5位にRX−3 久しぶりにGT-R上位独占
7月2日 ‘72日本オールスターレース
予選:従野RX−3が1分31秒79をマーク ワークスGT-R1高橋 2黒沢に2秒差
このレースは日産ワークスとして参加予定は無かった(富士1000kmを目指しエンジンを開発中だった為)が主催者の要請で参加承諾。
不運にも2台のGT-Rはエンジンが完調でなく 高橋のスタートは最後尾。決勝はスタートから従野RX−3に先行され2位2黒沢 3位5久保田
1高橋は1ヒート出走できず 2ヒート目2位で総合9位。
RX−3のサスペンションに大幅な改良がなされてきた。
フロント:鋳鉄のロアIアームはノーマルだがピロボール式のテンションロッドを追加されAアーム化、剛性が上がった分スタビを弱める。
リア:アンチノーズダイブ・ジオメトリー採用(リーフならではのワインドアップを抑える為 剛性アップ) リーフは1枚
この内容を見てもノーマル構造がチープ過ぎて対策されてもこの程度であった事が伺える。
9月2日 フジ・インター200マイル スーパーツーリング・チャンピオン・レース
日産がこのレースにかける意気込みはすさまじくエンジンも230〜240PSまでに至った、ロータリーは220PS以上まで来ていて ネックは
車重であった。GT-Rのリミットは918kgに対し RX−3は738kgまで可能。実際GT-Rは935kg前後までしか軽量出来ていなかった。
予選:従野RX−3〜2分01秒13 北野GT-R〜2分01秒79 都平GT-R〜2分02秒42
スタート:北野GT-Rが先頭で1周目早くも2位従野RX−3と接触 都平GT-Rは出遅れる。10周目まで抜きつ抜かれつの展開が続くが18周目には
従野RX−3に5.7秒離される。残り2周で従野RX−3燃料系トラブルで北野GT-Rに抜かれ後退。優勝:15北野 2位従野RX−3
3位21久保田GT-R 8位16都平GT-R
PS.この当時良く見られたシーンで明らかに戦略的に戦列を離脱したマシンをピットインさせ トップグループが来る前にピットアウトさせる、
そして敵の前に立ちはだかり挟み撃ちにし見方のマシンを優位に導く と言う展開を目にする。規約ではその車両には“白/黒フラッグ”が
出される〜「スポーツマン精神に反する行為」と言う事だ。コレを繰り返すと“ブラックフラッグ”が提示され ピット停止を命じられる。
(レース規約にピットインするとその理由を報告書にて提示しなければならない)
ワークス最後の下記↓のレースはその最たるもので 挙句には周回遅れの30武智RX−3が15黒沢GT-Rに特攻玉砕するというヒートアップ
した展開であった。メーカーにしては“何が何でも勝たねばならぬ”状態だと思うが 逆に言うと大きな汚点を残した勝利となったのは事実だ。
そして事実上 ワークス最後のレース
10月10日 富士GC第4戦<スーパーTSレース>
〜詳細は前項 =ハコスカは最期まで”男らしい”戦いぶりだった= を御覧下さい。
当面の目標としていた 富士1000kmレース にも参加する事無く GT-Rのワークス活動を終了した。
この時はすでに新型ケンメリも発売されており メーカーとしてはいつまでもハコスカでレースをやるわけにもいかない、まして世情がオイルショック
で不況の最中、大気汚染や光化学スモッグなど排気ガス規制の声が高く まして時期スカイライン“ケンメリ”はハコスカの進化形とは真逆で
とてもレースに投入出来るベースでもない。メーカーとしてはレースの開発費も縮小で次期排気ガス規制出来る車にお金を投じざるを得なかった。
と言う事はやめざるを得ない状態であった。
総評:ロータリー 対 GT-R 1台づつの勝負であればこの時点でもGT-Rの方が優勢であったような印象がある。パワーウェイトレシオで
優位なロータリーRX−3はやはりスタート加速やトップスピードは速いが複合コーナー区間のスピードはGT-Rに分がある。チームプレイや
当て合いでなく“フェアプレイ”でのレースであれば抜きつ抜かれつの実に面白いレースが見れただろうし もうしばらくの間ワークスGT-Rも
サーキットで姿を見る事が出来たと思う。
また 日産の運営方針転換などで特殊車両部第2特殊車両課に資金、規模縮小などの規制が無ければ この時点で“乾いた雑巾を絞る”
ような開発を続けていたものの 他に多くの大幅パワーアップ構想のあの手この手があったようだ。(青地氏談)
その構想が闇の中に埋もれていった事は実に残念でならないし もう限界と言われていたS20エンジンの先の可能性を垣間見て見たかった。
現在 某有名ショップの技術の結晶と言えるレーシングGT-R2.200ccを黒澤が改修前の富士4.3kmコースを攻めてベストラップが
1分49秒581だ、このコースは昔と違い2箇所のコース改正が行われている、ラップデータの差をを見ると約12秒の差が出るようだ。
40年前のワークスが出したラップが1分32秒台である事を見るとマシンとドライバーのレベルが高かった事を伺わせる。