PGC10RからKPGC10R


=1970(S45) 10月=------------------------------------------------------------

文中:我々⇒ニッサン特殊車両部第2特殊車両課

スカイラインGT-Rは性能向上を絶え間なく実施し、プライベート出場も多く フレッシュマンレースなどでも大活躍を見せ

勝利数を重ねて記録を更新しつつあった。GT-Rは我々の開発の成果で2分5秒台をマークするようになったが

マツダのロータリークーペが欧州遠征から転進して国内レースに姿を現し 油断のならない強敵として存在するようになり

日本オールスターレース終了後も我々に休む暇を与えてくれなかった。

ロータリークーペに対し車両重量と車両の形状による空気抵抗という厳しいハンディキャップがあるGT-Rは これと

対抗するために飛躍的に向上させる事は出来ない相談だった。エンジン出力を上げる努力 空気抵抗を減らし

空力的に優れたボディ形状にする努力 車体の軽量化など地道な開発をさらに続ける必要があったが 通常の方法では

限界が有り 大きな壁に突き当たっていたのであった。そんな状況の中で 一つの朗報がもたらされた。

 数ヶ月前まで村山のコースを覆面で走っていた試作車の一台が すべての試験が終わって我々のところにやってきた

のである。新しく発売が予定されているスカイラインハードトップGT-R(KPGC10)であった。このハードトップGT-Rは

従来のGT-R(PGC10)を基本にして洗練されたボディスタイルを持ち 内装も一層スポーティ化された車両である。

主要寸法を従来の4DRGT-Rに比較すると全長は65mm短く 全幅は55mm広く 全高は15mm低くなっている。

またホイルベースは70mmも短縮されて2.570mmとなっていた。こうした車両サイズの変更は レースを考えれば非常に

好ましいものといえた。ホイルベースが短縮されたことでコーナリング性能のさらなる向上が期待され 全高が小さく

なったことは 当然空気抵抗が良くなり 全幅が広がったことによりワイドタイヤの使用範囲が大きくなり コーナーでの

踏ん張りが効く方向となって コーナリング性能を上げるのに有利であった。それだけ戦闘力を上げる事が可能になった

のであった。車重:20kg軽量

 我々が最初に手にしたハードトップGT-Rはすでに数万km走行しているのでレース用実験車として使用するには

惜しげの無い中古車であった。さっそくレース車としての改修が開始され 見た目には中古車であるが中身は次第に

新しくなっていった。改修といってもまずは軽量化とオーバーフェンダーの取り付け作業を実施し その後足回りを

主体に当時開発されていたGT-R用レース部品が次々と組み込まれ次第に充実されたものとなった。ただし4DRGT-Rと

共用できないドア関係やウィンドウ関係は生産そのままであった。




10月23日 富士スピードウェイ HT GT‐R シェイクダウン


こうしてレース用に仕立てられたハードトップGT-Rが走行テストの為に富士スピードウェイに姿を現した。

このテストでチェックしたい項目としては

@ホイルベース短縮の影響がどのように現われるか。

Aバックスタイルのボディ形状の空力性能特性はどうか。

Bサスペンション・セッティングは4DRGT-Rの試験結果が流用出来るか。

 この日 富士スピードウェイに居合わせた人たちは我々と同様にこの新型車がどの程度のラップタイムで走行するかに

大きな期待と関心を抱いて見ていたようである。ドライバーは横山達 黒沢元治の両選手で まず慣らし走行から入った。

そして徐々に様子を見ながらスピードを上げていった。横山選手が10ラップ 黒沢選手が9ラップす このときまでの

ベストラップは2分06秒3だった。これは最初のモデルの走行としては我々を驚かせるものであった。ドライバーによると

きわめて軽く楽な走行で 決して無理をせずに従来のGT-Rのつもりでアクセルを踏んでいくと ついついオーバー

スピードになってしまうと言う。そのせいか遂に100Rでクラッシュしてしまった。幸いにしてドライバーに怪我は無く

車両も敬称で済み 現地で修復できる程度であった。

 車両には何の欠陥もなく修理完了後 再び走行テストを開始した。ドライバーも次第にクルマに慣れてきてラップタイムも

向上し 最終的には2分05秒6を記録する事が出来た。

 この試走を兼ねた試験の結果 ドライバーのフィーリングによる4DRGT-RとハードトップGT-Rとの相違点をあげると

1.)全般的にエンジン回転数の上昇が速く バンク入り口、最終コーナー手前で8.500rpmに達し
  4Drに比べ500rpm程度高くなっている。

2.)最終コーナー出口では4速で7.500〜7.600rpmで4Drに比べ300〜400rpm高くなっている。

3.)フロントスタビФ24では極端なアンダーステアとなり 特に高速コーナーほどこの傾向は強く現われる。

このドライバーのフィーリングから判断するとハードトップGT‐Rはボディスタイルが変わり空気抵抗が減少となり、

速度が上昇してエンジン回転を高めている事が明らかになった。

高速コーナーにおけるアンダーステア特性の変化については4DRGT-Rと空力的に前後バランスが変わり 

リアのリフトが小さく テールウィングの影響が顕著に現われているようであり フロントの浮き上がりも想定されるので 

今後の研究課題となった。ホイルベース70mmの短縮については特にマイナスとなるような影響も無く 

むしろ乗り易い方向であった。したがって今後開発を進める事により更にタイムを短縮する事ができ 

操縦し易いレース車となる素質が充分にあり期待の持てるクルマである事が確認された。

(車両設計は桜井真一郎氏)



11月に入り我々のもとに新しいスカイラインハードトップGT-Rが納入され いよいよ本格的な開発実験が実施される
    事になった。富士スピードウェイを中心にして走行テストを重ねた結果得られた成果の主なものは次の通りである。


1.)空力的な前後バランスについて

テールウィングを装着することにより空力的な前後バランスは効力で4% 揚力で約28%減少するが4DRGT-Rに

対してフロントの揚力が多少増加しているのに対し リアは大幅に減少している。

リアの揚力の減少は接地性を増大させるのでレースには特に有効と思われるが4DRGT-Rよりはリアのダウンフォースが

大きくなりその反力でフロントが浮き気味となる為特に高速コーナーでのアンダーステアが強調されているものと考えられた。

テールウィングについては4DRGT-Rの長さが1.300mmであったのに対し 幅を3種類 取り付け角度を3種類作って

テストして検討した結果 改めて新製する必要は無く同寸法のものが適当と判断して従来のウィングを共用することにした。

2.)アンダーステアについて

ハードトップGT-Rはテールウィングの装着によりアンダーステアの傾向が出てきたがコーナリングスピードを上げるために

ワイドタイヤの採用を考えていた時だったのでリアの押さえが効く事は有利である。

したがってワイドタイヤの開発に備えてディスクホイルのリム幅をフロント8.5インチ リア11インチにすべく設計を開始し 

これに合わせてオーバーフェンダーもハードトップGT−R用を新設計することにした。

これを機会にオーバーフェンダーの形状を工夫することによりフロントにリアとバランスのとれたダウンフォースが

得られるように出来ればと考えた。実車をモデルルームに搬入し空気の流れを想定して粘土を盛ってレースの規定で

許される範囲でオーバーフェンダーの形状をいろいろ変えて造ってみたがうまくダウンフォースを得ることが出来なかった。

規定で車両の最大幅が決められておりオーバーフェンダーを横に張り出す量が大きく取れないため期待していた効果は

少なかった。フロントのスタビライザーの径の変更と合わせて検討を進め コーナリングでのアンダーステアをかなり減少

させ 不満足ながら何とか解消することが出来た。

3.)エンジン使用回転域の上昇にともなう問題について

 ハードトップGT−Rになってテールウィングやタイヤの改善が進みエンジン使用回転数が上昇してラップタイムの向上も

みられたが これにともなってクラッチとクランクシャフトのダンパーの不具合が発生した。

クラッチの滑り発生についてはプレッシャープレートのクリップボルトが破損するもので 形状変更、材質変更により

解決することが出来た。また クランクシャフトのダンパー破損についてはラバーコンパウンドを改良し締め付けボルトの

回り止めも実施してダンパーの緩みを防止した。

ドライバー:黒沢元治

4.)タイヤのワイド化について

 ハードトップGT−Rになって直線は勿論のことコーナリングスピードも速くなりタイヤにとって厳しさが増し磨耗や

発熱などが問題となってきた。その対策としてショルダー部を変更し 非対称タイヤの開発を進めた。

またエンジン性能はすでにR380時代を上回っておりタイヤのワイド化によってコーナリングスピードを一段と上げることを

考えて 将来に備えてディスクホイルのリム幅の増大を計画した。この開発に当たってはマグネシウム木型を新製するには

かなりの日数が必要となるのでリム幅8インチと10インチの木型に8.5インチと11インチに広げる分のスペーサーを

挿入することを提案し 試作日程を大幅に縮められると喜んだが 実際には我々が期待したほど短縮されずコスト的に

有利となった程度であった(この当時安全公害対策部品の製作で試作工場は満杯状態でスペーサー挿入を提案しなければ

大幅に遅れたと思われる)。この間に前年開発を中止していたアルミ製ホイル(アルミ板をプレス加工した2枚をボルトで

組み合わせたもの)を再開発することにして試験を実施した。またタイヤのワイド化にともなってサスペンション・リンクと

タイヤとの間隔やタイヤハウスとの当たりなどを検討し 逆にキャンバーによるコーナリング時の作動についても見直しを

実施した。アルミ製ホイルを使用して開発しているタイヤの成果は目覚しくバネ下重量が軽減され車両とのマッチングとに

よって70年12月に実施した走行テストでは富士スピードウェイのラップタイムを2分04秒6まで向上することに成功した。

エンジンのメンテナンス

荻窪に編成されたエンジン実験部隊はすでにR380時代の性能を上回っていた出力を発揮しているS20型エンジンを

ひきついだが何をどこまでやったらチューニングの成果がえられるかでかなりのとまどいがあった。したがってかつての

レース用エンジンの開発を中心的に実施してきたエンジン設計部のエンジン実験専門部署の指導を受けながら

エンジン分解から始まってシリンダーヘッドやマニホールドポートのグラインダーによる合わせ仕上げやクランクシャフトの

酸化クロームによる磨きなど初歩からの勉強であった。エンジンを組むに当たってはバルブクリアランスを合わせるにも

苦労していた。DOHCのS20型エンジンではカムシャフトがバルブスプリングに被せたスリーブを介して直接バルブを

駆動する方式で スリーブとバルブとの間にはシムがありこのシムの厚さでクリアランスを調整していた。

したがってあらかじめマイクロメーターで測定した数種類の厚さのシムが準備されておりクリアランス測定後は再び

カムシャフトを外してスリーブを取り出し測定値に合わせてシムを入れるのである。

1回の測定で24バルブが調整出来るとは限らないので随分多くの時間を要した。

こうした面倒な調整が必要なこともDOHCエンジンが特殊なものであるという印象だったがこれらも時代の違いであろう。

富士スピードウェイでの走行試験を効率よく進めるためにエンジンについては約300ラップを目安にオーバーホールして

いた。これは走行テストで言えばほぼ2回分であった。主要な部品について定期的に交換するものとマグナフラックスによる

亀裂検査を実施して再使用できるものとを区分けしていた。これは目視では見落とす可能性がある部品の小さいクラックを

発見するために走行後は必ず実施する作業であった。また開発部品を汲み込む場合には使用時間に関係なく総点検して

組み立てていた。組み立てたエンジンは性能確認のうえ使用するようにしていたので走行実験の間に開発成果確認の

レース参加が入るとエンジンの準備は大変であった。ときにはエンジン設計部に無理を言って指導してもらったりして

走行実験を順調に進めることが出来た。

レース部隊が独立してからの活動も試行錯誤を続けながら少しづつ軌道に乗り‘71 3月の走行テストでは

富士スピードウェイでのラップタイムは2分03秒4を記録することが出来た。

しかしながらアルミ製ホイルはプレス形状を修正してアルミ板の亀裂はなくなったが板の合わせ面に問題があり 

ボルトの緩みや破損が発生した。これに対してはボルトの材質変更 締め付けトルクの変更 合わせ面の形状変更などを

いろいろ実施したが要求する耐久性を満足するに至らず 残念ながらこの年もまた採用を断念せざるを得なかった。

手配中のリム幅増大のマグネシウムホイルの完成も見通しが立たず 5月の日本グランプリには信頼性も確認されている

従来からのフロント8インチ リア10.5インチの規定のマグネシュームホイルを使用せざるを得なくなった。

ハードトップGT−Rが最初に出場したのは3月7日の全日本鈴鹿自動車レースであった。

この日は小雪がちらつくコンディションであったが黒沢選手のドライビングによりTSクラスのウィナーとなり

71年シーズンの緒戦を飾った。(青地康雄著より)




1971 3月7日 全日本鈴鹿自動車レース


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