故 渡辺氏所有のKPGC10‐R

イベントなどで見かける事はあったが 雑誌などで特集されたものも見かけなかった。

良くあるショップがレプリカを作ったものだと思っていた。

私の場合 ショップのレプリカには興味は無い。(仕様が当時を窺えるものが無いから)

BHオークションで日産スポーツコーナーが造った車両である事を知り 一気に興味は高まった。

詳しいスペックなどの記述が無いので中身がどれほどのものかが分らない。

渡辺氏のショップの常連さん達は知っていたかも知れないが・・・

そんな時ノスヒロで特集が出るという。

記事の内容に注目したい。


2020年2月 ノスヒロ の記載まとめ

=仕様=

○ボディ:レース用ボディ ワークスオーバーフェンダー アクリルウィンドー(フロントはガラス)
レーシングジャケット FRPボンネット/ドア/リアトランク/フロントスポイラー/初期型リアウィング/
オールペイント&軽量化(GT-Rサービスワタナベ)

○直列6気筒DOHC S20型エンジン[1989cc:ボアФ82mm×ストローク62.8mm]
最終仕様ワークスエンジンSPEC 2本リング鍛造ピストン(コンプレッション1本)
チタンコンロッド 特注クランク
燃焼室排気側ペントルーフ 作用角&リフト量変更 ドライサンプ用オイルキャッチタンク
ルーカスフューエルインジェクション用機械式タコメーター 各部軽量化 

○吸排気系:ウェーバー45DCOE9&ピロボールリンケージ ワークス(もなか)エキゾースト
デュアルサイドマフラー(不等長アルミ製)

○点火系:ワークスディストリビューター レース用プラグホール&プラグキャップ+セスナ用プラグコード
MDS製STREET FIRE(C.D.I) 

○冷却系:レース用3層ラヂエター オプションオイルクーラー

○駆動系:クラッチ ワークスオプションタイプU F仕様ミッション アルフィンカバー付きR192デフLSD

○燃料系:レース用安全燃料タンク(100L)&コレクタータンク 2機掛け燃料ポンプ フィルター
エア抜き用ブリーザー 

○サスペンション:レース用ストラット スタビライザー(F:Ф21mm R:Ф12.7mm)

○ブレーキ:(F)MK634ポットキャリパー+Ф280mmローター (R)アルフィンドラム

○タイヤ:DUNLOPスリック(F)220/575−15(R)340/575−15

○ホイル:レース用ゴッティ15inchマグホイル (F)15×9.5J‐25(R)15×11.5J‐44

○インテリア:レース用ダッシュボード 10.000rpmタコメーター KS製サブメーター(水温・電流)
YAMAMOTO SEIKI製作所油圧計 ナルディ製ステアリング ダッツンコンペシート(運転席)
カート用シート(助手席) 4点式ハーネス チタン製3点式ロールバー 
レース用ステアリングギアボックス(15.2:1)

備考
搭載S20型エンジンはワークス最後のレース ‘72富士マスターズ250km黒沢元治選手がドライブしていた
ワークスエンジン
ルーカスフューエルインジェクションを外しウェーバー45DCOE9に変更
ドライサンプユニット ⇒ ウェットサンプに変更

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搭載S20型エンジンはワークス最後のレース

 1972 10/10 富士マスターズ250km 黒沢元治選手がドライブしていたワークスエンジンらしい。

青地さんの著書によればこのレースの前にエンジンパワーを向上する為に

S20型エンジンの2.2リッターの試作エンジンで270PSを得られた結果

2リッターでいく場合燃焼室の改良による馬力アップに辿り着いた。

それが吸気側を多球形 排気側をペントルーフ形状にする事だった。

それでこのレースでHT・GT-R初の富士6kmコースを2分の壁を破る事が出来た。

このGT-Rの仕様の記述に燃焼室排気側ペントルーフとある。

ホンモノの黒沢号エンジンと言う信憑性は高い。

GT-Rを好きなマニアであれば これ以上の“宝物”は無い 「究極のS20型エンジン」だ。


動画はこちら↓

You Tube https://www.youtube.com/watch?v=-FxRKMD071o

ワークス最終仕様エンジン

------------ Described below -----------

BH Auctionに出展されたレース車HT GT-Rに搭載されたS20型エンジンは

ワークス最後のレース‘72富士マスターズ250km黒沢元治選手がドライブしていたワークスエンジンだという。

事実上S20ワークスエンジンとしては最高峰の“逸品”だ。

S20型エンジンだけどすべてにおいてワンオフのスペシャルエンジン、まったく別物。

シリンダーブロック、クランク、コンロッド、ヘッド、ピストン、カム・・・ これだけ違えば同型のエンジンとは言えない。

止めにルーカスフューエルインジェクション、もなかエキゾーストは致命的。
(GT-Rを諦めた一番の要因はこの事実を知ってノーマルS20型エンジンに興味が無くなった
と 同時に同様の仕様も造れないと分った為)

このワークスS20型エンジンのスペックは 264PS/8.400rpmを発生している。


ルーカスフューエルインジェクションは1969年8月27日に4DRGT-Rに投入された。

この時 キャブ仕様で200PSから(ワークスキャブ仕様の最終はウェーバー44を使用)

最高出力:230PS/8.400rpm 最大トルク:20.55kg‐m/6.800rpm 最高許容回転:8.500rpm

まで引き上げられた。


しかし個人にはセッティングが難しいとは言え ルーカスフューエルインジェクションを外し

キャブ仕様に戻してあるという事は大幅にスペックダウンしているだろう。

ルーカスフューエルインジェクションといえばワークスエンジンには必須アイテムだ コレ無しでは語れない。

「GT-Rの神様」と呼ばれた御人が・・・

日産スポーツコーナーからのノウハウは伝授されなかったのか。

最終黒沢S20型エンジンのカムシャフトのプロフィールデータなどは残っているのだろうか?


また黒沢HT・GT-Rはホイルは神戸製鋼マグホイルで

フロント:8.5J−14inch リア:11J−14inch が装着されていた。

一般には日産スポーツコーナーで F:8J−14 R:10K−14 (240Zオプション共用)だった。

要はワークスならではのSPLホイル。

現車についているホイルはGotti−15inch イメージ的にはフェアレディ240Z用。

一般的に当時モノはGottiは 10J‐15 12J‐15 の2種 (実戦投入はされなかった)

再販品(RSワタナベ)

・8.5J−15 ‐6 ・9.0J−15 ‐13 ・9.5J−15 ‐25 ・11.5J−15 ‐44 の4サイズ(5台分程度)

雑誌の記述には レース用ゴッティ15inchマグホイル (F)15×9.5J‐25(R)15×11.5J‐44

と言う事は再販品であろう。


そしてワークスGT-Rは‘72 6月にはリアをディスク化


いずれにしてもこのGT-Rが現存する日産ワークス系直系の最高峰車両に間違いないだろう。

BHオークションで落札したオーナーさんはこのGT-Rをサーキットでその雄姿を披露する

つもりはあるのだろうか?

出来ればインジェクションとドライサンプは戻して完品の状態に仕上げて欲しいと切に祈る。


=素朴な疑問=

Webで見る限り詳細には触れていなかったがオークションに参入された方たちは少なくとも

この内容を知っていたのだろうか?

本当に黒沢エンジンであれば“億”いってもおかしくない案件だったと思う。

逆に安い買い物だったと言えよう。

=黒沢元治選手 回顧録=

最後の最後、1972(昭和47)年の秋にワークスのスカイラインがこれで撤退するって言った時に、櫻井さんも青地さんもチームを全員集めてミーティングを行なった。マツダに勝てなくなってきたので、とにかく最後は黒澤でいくと。

そのレースのためのテストを何回かやった中で、僕は今までサスペンション関係のパーツでボツになったものを全部、コッペイ(古平さん)に頼んで富士に全部持ってきてもらった。それでバネレートからやり直して、ちょっと乗りにくいけどもタイムの出るマシンにして最終レースに臨んだんだ。

今まではエンジン回転数を8500rpmくらいで抑えていたのかな? エンジン屋さんも「回せるだけ回していい」ということになってね。それで初めてあのS20型エンジンを1万…1万300rpmくらいまで回した。それであの時のベストタイムが出たんだよ。ついに富士の6kmコースで2分を切ったんだ。R380でさえ1分56秒くらいしか出てないのに、1分58秒3っていうタイムが出た。決勝は、ロータリーの周回遅れが体当たりしてこなければ勝てたんだよね…。

今思うとね、S20型エンジンはその回転に対するバランスの悪さでエンジン振動がものすごく出るから、結局ブロックだとかクランクのメタルを押さえる部分とかすごくゴツくなってさ。だから、良いエンジンだったけど重かったよね。どでかいエンジンでさ。でも最後の頃はね、1万rpm以上回ったから、バランスも少しずつ直してきて良いエンジンになったんだよ。

最後の頃は、限界まで回しても壊れなかったね。R380はその頃はもうル・マンに出ないっていうことになって開発が止まっちゃっていたから。当初はR380のエンジンの方がすごく良かったけども、最後はGT-Rの方がパワー出ていたんだよ。結局、中身はほとんど同じになっちゃったんじゃないの? 最後は。

------------ Related to the previous -----------

この‘72富士マスターズ250kmのレースに日産ワークスとしてもう1台エントリーしていた。

♯16長谷見昌弘選手だ。

不運にもリタイアしてしまったのだがこの車両の画像も少ない。



渡辺氏が日産スポーツコーナーで車両を作っていた時に黒沢号があったのであれば

長谷見号はどうなった?何処へいったのだろう?

聞くところによれば車両は本当に潰したらしいがパーツは出入りしていた者が

分け分けしてそれぞれ持ち帰ったと。

あれから約五十年・・・ 


しかしこのレースを動画で見る限りワークスGT-R黒沢号1台 VS マツダローターリー4台のバトル。

レース前から「このレース勝てる」 レース後にも「このレース勝てた」と言っていた黒沢選手、

マシンの性能もあるがドライビングテクニックは群を抜いていたのは誰が見ていても分ると思う。

正谷選手・杉崎選手・久保田選手・越田選手・飯村選手・窪寺選手らセミワークスもエントリーしているが

映像にも写っていない。

このトップグループの速さは別格だった。

のちに黒沢が雑誌のインタビューに答えて

日産チームの中では このレースを最後にGT-Rでのレースはやめようと言う事になっていたんだ。ロータリー勢がのしてきていて GT-Rではもう勝てないというのが見えてきていたからね。いやホントはこのレースだって出るのは止めようという声が多かった。だけど古平メカから「もう1回だけやらせてくれ」と言う熱烈な要望が出て、じゃあやろうか、ってね。出るからにはしっかり走ろうと言う事で 富士で事前テストをやった、足回りの見直しだ。マツダのドライバーは片山はまあまあだけど、それ以外はアマチュア並みと思っていた。そして迎えたGT-R最後のレース、オレは武智にぶつけられてその日を終えた。〜以降略

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以上の事から黒沢選手の証言からワークスGT-Rの最終型 S20型エンジンはR380のエンジンより

上回る性能になっていた。やはりワークスS20型エンジンは一般市販のS20と異なり

エンジンブロック、クランク、ピストン、ヘッド、カムに至るまで違っていたと言う事が分かる。

大きな決め手はルーカス低圧機械式フューエルインジェクションが大きな役割を果たしている。

↑上記の 故 渡辺氏所有のKPGC10‐Rは残念な事にそのユニットは外されている。

もし最終黒沢エンジンだったとしても大幅なパワーダウンは否めない。

ゴッティほどの前後ホイルの幅は逆にパワーロスするだろう。

------------ At a later date -----------

このオークション終了後 渡辺氏のGT-Rレーシングを見かける事が無くなったと思っていたら

Webで見つけた。どうやら大手?カーショップが落札したようでASKで売りに出されていた。

こんなレアな車両を商売の道具の為に落札されたと思うと なんだかなぁ〜 ですわ。

どうせ法外な金額で売るなら エンジンをばらして黒沢エンジンかどうかを明らかにして欲しいものだ。

正真正銘の「黒沢エンジン」である事が証明されれば“億”行くだろう。

出来れば日産が買い取って「ワークス最後のGT-R」としてレストアし保存するのが最善の方法だろう。