ある男に捧げるRequiem
事の始まりは私が魂を込め製作したマシンがある。
中間排気量ながら大排気量を凌ぐ性能を宿す事が出来た、言ってみれば集大成ともいえる渾身の作。
3年ほど前にひょっこり店に現れ そのマシンに載せてあげた。
その時の事はあまり覚えていないが それから2年・・・
久しぶりに現れた、聞くところによれば大病をして入院していたらしい。
入院中に思ったと言う 「どうしてもあのマシンが忘れられない 頭から離れない」
元気になったら是非同じようなマシンを作って乗りたい。
と 強く思ったそうだ。
どこまでやるか予算もあるので相談の上 製作開始。
私の4/5近い内容になった 3ヶ月を要し完成。
そそくさと時間を作っては“慣らし”を兼ねて走り回っていたようだ。
よほど気に入ってくれたようで走った後に店には良く寄ってくれていた。
その仕様に加え 組残したMore pawerパーツの依頼を受けた時から
パッタリ店に来なくなった。
メールで「依頼の部品出来てるよ」と連絡すると
「仕事が忙しくて寄れません」と返事。
まぁそのうちひょっこりと現れるだろう と思っていた。
それから年が開け もう2月も終わりと言うときにその人の奥さんから電話があった。
「主人がお世話になったお店の○○さんですか」
ちょっと嫌な予感がした。
実は1月27日に主人が他界しました と。
実は大病というのは癌だった それもステージV・・・
生きているウチにやり残した事や楽しまなきゃという想いになったという。
治療もあるだろうが“免疫力”を上げるには楽しい事をするのがいいと聞いていたので
私は全面的な協力をした。
製作中も時々熱が出たと入退院を2度ほどされたとは聞いていた。
来店の折は元気そのもの マシンの話に花が咲いた。
その中で万が一何かがあれば 作ったマシンの面倒を見てくれ と言う内容もあった。
電話の内容はその事だった。
嫁さんにもその話をしていたようだ。
し しかし 余りにもはやい・・・
ある程度は満足してくれただろうか
思い残す事は小さい子供や家族の事・・・
まさか自分が・・・ という思いや悔しさはあっただろう
話をしている時の屈託の無い笑顔が目に浮かぶ
私も悔しい想いや ショックなのと実に複雑な気持ちでなにも手に付かない。
あの男が歩んできた 生きていた証をここに刻んでおく。
私は○○君を忘れない。
少しは手助けになったかなぁ
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