そんなもの

TV番組で「なんでも鑑定団」というものがある。

私は“骨董”には興味は無いが内容は実に面白い。

ひとつのものにもストーリーやルーツがあり それを紐解いてゆく。

絵画や陶芸 作者の人生に踏み込んでゆく。

骨董屋さんで○○作のもので○○万円で購入 果たしてホンモノか・・・

そしてホンモノでも面白いし 贋作でも見る方にとっては面白い。

そこで素朴な疑問 ニセモノを高額で掴まされた人は購入した骨董屋を訴えたりしないのだろうか?

サギなんじゃないかと・・・

しかしおそらくそんなことしないのだろう、責められるは見る目を持っていなかった自分の方だと。

骨董とはそういうものだと私は理解している。

でも近年では訴える輩が出てきているのではないかとも思う。

中には古いものは何でも高く売れる価値があると思っている素人も増えてきているのではないだろうか。

クルマでもそんな傾向が見られる。

価格に反映されるのは需要や人気で決まる。


子供の頃 カーレースのシリーズ戦での優勝したレースの賞金が百万代・・・

ゴルフの優勝賞金はウン千万・・・ なんだこの差は!

常に危険を隣り合わせな中で命を掛け走っているレーサー、対し棒ッきれを振り回しているだけ・・・

ゴルフも命がけだという意見もあるがソレは却下だ。

それなりの難しさも分かる。

大人になって気がついた その業界の人気度・需要で決まる事を。

昭和五十年代後半 オイルショックが来てレースで使うガソリンがもったいないと槍玉に上がった事があった。

飛行機の国際便1便が消費する量と レースで使う1年分が同じだと聞いた。

ソレがメディアによって“レースは悪”として報道されたのだ。

そんな事もあり モロレース業界も大幅縮小となった。

日本のメディアにとってモータースポーツはこの世の中には必要無いものなのだろう。

それは今でも変わらないと私は感じる。


旧車屋でもここらへんでは有名?なショップに友人が身を寄せていた。

車検を兼ねてブレーキのチェックも依頼して 上がったというので取りに行ったところ

ブレーキペダルに足を掛けるとピコピコと小刻みに足元に振動が帰って来る様になった、出す前は

そんな症状が無かったのに・・・

ソレをその有名ショップ?に言うと「古いからそんなモンだよ」と言われ終わり

取り合ってくれなかった。

その足でウチへ来て「○○さん 聞いて下さいよ」と憤りが収まらない様子。

私は聞いてすぐに分かった、マスターバッグに繋がるワンウェイバルブがおかしいのではないかと。

日産でパーツを取り寄せ交換したら治った。

世間では受けているようだけどこの件に限らず胡散臭さは拭えない。

最近になってその有名ショップ?を離れ 違うショップの世話になっているというが・・・

しかしこういうショップには「そんなもの」は便利なツールなんだろうなぁ〜


医者もそうだがまずショップに出して 仕事の結果でソコの良し悪しを判断しないといけない時代になった。

捨石捨て金前提で判断するしかないエラい世の中になったものだ。

コロンブスの卵・・・ ユーザーのレベルも下がっているし ショップのレベルも・・・

いろんな経験や勉強 知識(ネットの情報は別)を増やす事で“見る目”を養うしかない。


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