京王線事件

11月2日 とんでもない事件が起こったのはご存知だと思う。

誠に身勝手な犯行だがTVの報道 画像を見て驚いた。

当日の報道動画はモザイク無しでどの局も報道されていた。

それは我先に車輌の後部へ逃げていく乗客の群れが映し出されていた。

翌日の報道は↑上記にように乗客の顔が映らないように加工されていた。

問題は○黄色部分だ。

当日の画像は↓コレ

ご婦人が倒れている、

誰一人助ける人が居なかったのだ。

この人に躓いた人も居たが ヘタすると踏んでいった客も居た。

この画面の後ろには多くの客が居て ただ見ているだけ。

TVは翌日モザイクで分からないように加工しているのに驚いた、そしてソレを指摘しているところも無し。

都会は寂しいところだねぇ〜 クソ予備軍ばかりなのか・・・


東北の震災の時助け合いが美談として報道していたが それはコミニティがしっかりしている地域だからこそ

成り立っているのではないかと私は思っていた。

都会でもし思った場合は略奪など治安が悪く 助け合いは少なく我先に振舞う行動が頻繁に起こるのではないかと。

コレを見て疑問が確認に変わった瞬間であった。

日本が壊れていく。

犯行に及んだ奴は勿論鬼畜だが ふ〜っ とため息が出る。

------------ Subsequently -----------

この服部は「死刑になりたかった」と言っているらしい。

死にたいなら人を巻き込むなと言いたい 自分で死ねないチキンだ。

希望通り死刑にしてやればいい。

リベラルと言われる人たちは「死刑反対」を唱える。

その理由は「人が人を殺す」なんて認められない とか

「先進国は死刑を廃止していて日本は遅れている」 とか良く耳にする。

私は思った 法律は生きているものを中心に成り立っていて 作られている事を痛感した。

ある犯罪で罪も無い一般人が殺され 犯人は「人権」の名の元に手厚い保護を受ける。

ちょっと前までは裁判で亡くなった人の慰霊でさえ持込を禁止されていた。

やはり「人の命を奪った償いは自分の命で」と言うのが当たり前だろう。

一人殺しても死刑にはならない 二人以上というのが何故か当たり前になっている。

裁判官が公平の名の元に“前例”に従っているだけ 自分で判断出来ないチキンが多い。

先日TVでこの死刑問題がお題で討論があった。

その中で朝のワイドショーを長くやっていた人が出ていて 死刑はやはり反対の立場で話していた。

やはり「人が人を殺す」事には違和感が拭えないという事だった。

世の中の規律は人が長い間培った経験で作られている。

世の中に生まれてきたからには必然であらゆる“責任”が伴う。

死刑もこの日本においては一般社会人としての責務だと思う。

リベラルは都合の悪い事にはその責務を放棄するのが特徴だ。

いくつもの自分の都合がいいスタンダードをひけらかすのだ。

日本を貶めるリベラルは要らない。


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