Webで画像検索していたらこんなの出てきた。
んっ?! コレはR382ではないか!
企業とのコラボか? それか遂にR90CPのように売ったのか?
実はゲームに出てくるR382らしい。
ゲームやらないモンで分からないし知らない。
良く出来てるねぇ〜
実車かと思った。
------------ Let`s get back to the story -----------
Nissan R382
比較的近年 何かの雑誌で行方が分からなくなっていたR382が偶然アメリカから見つかった と聞いた。それを当時の開発に携わっていた勇姿が集まってレストアが始まった と記してあった。
R382が‘69 日本GPに優勝した後 年の暮れにはR383の開発に着手
目標は‘70・71日本GPとCan-Amシリーズであった。
本場USのCan-Amを視野に入れていた為‘70春 優勝した♯20黒沢車をアメリカに送る。
R382は富士スピードウェイ6kmコースに特化した設計になっており Can-Amで
戦うには大幅な設計変更が必要だということは当初から分かっていた。
そこでローラの北米代理店を務め ワークス活動を担当しCan-Amに参戦中だった
カール・ハース氏にR382を託し Can-Am参戦に向けた検証と改良を行う事になった。
ところが70年6月8日 オイルショックの影響を理由に‘70日本GP参加を断念
以降ビッグマシンによるワークス活動を打ち切った。
その後‘70 6月23日富士スピードウェイで開催された「富士300マイルレース」に
2台のR382が出走しているが開発とは関係なく 宣伝部が宣伝予算を使って参加したものだった。
1・2フィニッシュで終了 R382にとって2度目にして最後のレースになった。
一方進行していたR383の開発も打ち切り、
その頃は基本設計も終えており 組み立ても始まっていたが作業中止。
ソレまでに出来上がっていたパーツのみを使って とりあえず2台のR383が組み立てられた。
しかし とりあえずカタチにしただけで走行するには至らなかった。
アメリカに送られたR382黒沢車もワークス活動中止にを受け宙に浮き
ロサンゼルスにある米国日産のモータースポーツ車輌関係ガレージに放置されたままになった。
------------ Separate case -----------
日産に限らずトヨタでもNEW7がオランダのディ−ラーで見つかったというのもあり
意外と管理がずさんだったようだ。
以前にも書いたがR380A-Vは何処にいった。
1970 東京レーシングカーショーにも展示されていたぐらいなので
いろんなところに貸し出されていたのではないだろうか。
当時R380はモデルが変わっていくうちに海外レース ルマンを視野に
開発が進められていたぐらい力が入っていた。
何処かにある筈
------------ Bonus -----------
1970年代の雑誌の広告
ポスターの宣伝だが んっ?!
R382のテストカーがポスターに コレまたレア
このテストカーの画像は少ない
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