第1回富士24時間耐久自動車レース大会 1967/04/09 富士スピードウェイ 周回距離 6.0km
総合順位 クラス順位 クラス ゼッケン ドライバー 車名 周回数 タイム
1 001 S2 ♯1 細谷 四方洋/大坪 善男 トヨタ2000GT 539 2 002 S2 ♯2 津々見 友彦/鮒子田 寛 トヨタ2000GT 531 3 001 S1 ♯6 田村 三夫/川合 稔 トヨタスポーツ800 469 4 001 GT1 18 佐藤 一彦/土屋 郁夫 フェアレディ 468 5 001 T2 40 若林 完治/松田 康史 ベレットGT 464 6 002 T2 39 河端 宏道/渡部 正明 ベレットGT 463 7 001 GT1 20 高橋 利昭/蟹江 光正 トヨタスポーツ800 458 8 001 T1 51 伊能 祥光/見崎 清志 モーリスミニクーパー 455 9 002 T1 52 小関 典幸/中原 喜栄人 スバル1000 438 10 001 T3 29 伊藤 嘉太加/鹿島 秀彦 バリアント 426 11 003 T2 41 中島 光雄/中島 義之 ベレットGT 414 12 002 GT1 24 三村 建治/若松 孝太郎 ホンダ 411 13 003 GT1 19 韓 義孝/尾台 昭一 ヒルマンインプ 411 14 003 T1 57 伊藤 晴康/本郷 俊助 ホンダ 394 15 004 GT1 23 佐藤 全弘/片平 浩 ホンダ 393 16 004 T1 50 川口 吉正/松田 次雄 モーリスミニクーパー 383 17 004 T2 45 松永 正人/渡辺 護 コロナ 382 18 002 GT2 17 西村 俊男/金本 光雄 シルビア 380 19 005 T1 48 保利 昇/粕谷 順一郎 コンテッサ 354 20 002 S1 7 大橋 孝至/寺田 陽次郎 ホンダ 290 21 006 T1 56 広田 孝紀/久米原 峯一 ホンダ 287 22 007 T1 53 原田 信雄/鹿島 信之 ホンダ 254 23 003 S1 11 梅室 邦夫/宮川 利昭 ボクゾールビバー 245 24 002 T3 30 綿引 義誠/板谷 享 プリンス2000GT 230 25 005 GT1 21 斉藤 好永/山口 文 トヨタスポーツ800 208 26 006 GT1 22 高岡 恭之/大久保 力 ホンダ 201 27 005 T2 43 武井 岳晴/石井 和男 ベレットGT 186 28 008 T1 49 金指 昭郎/谷津 勝 ブルーバードSS 172 29 006 T2 44 岡本 安弘/上畠 律 ベレットGT 171 30 009 T1 58 山梨 一成/広瀬 浩里 ホンダ 166 31 004 S1 9 館内 禎三/小室 貞夫 ホンダ 95 32 005 S1 10 上野 通夫/常盤山 光義 ホンダ 80 33 006 S1 5 北原 豪彦/大岩 湛矣 トヨタスポーツ800 22
’67富士24時間、劇的な3台編隊ゴール 漆黒の中を光芒が進る一一わが国初の24時間レースは、1967年4月7〜8日の両日にわたって富士スピードウェイで開催された。延えん24時間にわたる耐久レースは、当時フランスのル・マンとアメリカのデイトナでしか行なわれておらず、富士24時間レースは世界でも3番めのものだった。午後4時、カテゴリーと排気量別に並べられた33台のマシンに向かってドライバーが一勢にダッシュ。スタートは2台のトヨタ2000GTが早かった。つづいてホンダS600、トヨタS800、シルビアの各車が富士スピードウェイのフルコースに飛び出していった。主だった出場車は、2台のトヨタ2000GT(細谷四方洋/大坪善男、津々見友彦/鮒子田寛)、4台のトヨタS800(北原豪彦/大岩湛癸、田村三夫/川合稔、高橋利昭/蟹江光正、斉藤好永/山口文)。これにフェアレディ、ベレットGT、スバル1000、ホンダS600、800、コンテッサ1300クーペ、プリンス2000GT、プルーバードSSの国産車、バリアント、ボクスホール・ビーバ、モーリス・ミニクーパーの外車勢が加わる。最終コーナーを立ち上がってきたトップ・グループは、やはり2台の2000GT。第2グループのトップはシルビア(西村俊男/金本光雄)で、ミニクーパー(川口吉正/松田次雄)、フェアレディ1600(佐藤一彦/土鰻郁夫)などがこれを追う。トヨタS800・2車(田村/川合、高橋/蟹江)とミニクーパー(伊能祥光/見崎満志)はこの後だ。周回を増すごとに2台のトヨタ2000GTは第2グループを引き離していく。田村/川合、高橋/蟹江、そして北原/大岩が加わった3台のトヨタS800も上昇中。だがスタート1時間後、北原/大岩のトヨタS800はエンジン・トラブルに見舞われ、S字コーナーでストップの憂きめに会う。陽が傾きかけるころ、富士特有のガスがジワジワとコースをはい出す。そして夜にはいって雨は本降りとなった。照明がほとんどない6qコースを、一条の光を残して各車が走り去る。 午前0時を過ぎ、細谷/大坪のトヨタ2000GTが燃料系統のトラブルでピットイン。この間、津々見/鮒子田のトヨタ2000GTがトッフに立った。しかし同車もワイパーのトラブルでピットヘ。12時間たった午前4時現在のポジションは、1位・トヨタ2000GT(細谷/大坪)、2位・トヨタ2000GT(津々見/鮒子田)、3位・トヨタS800(田村/川合)、4位・ベレット1600GT(若林完治/松田康史)、5位・フェアレディ(佐藤/土屋)、6位・ミニクーパー(伊能/見崎)霧雨の咋、5時すこし過ぎ夜は明けた。やがて6時を迎えるころ濃霧がコース全体を覆う。1〜2位はいぜんとして2台のトヨタ2000GT。3位も田村/川合)のトヨタS800である。高橋/蟹江のトヨタS800は、エンジン・トラブルで1時間ピットにはいっている間に15位へ転落、だが追い上げてこのころには8位へと上がっている。長かった24時間も終盤に近づき、2台のトヨタ2000GTがこれまた2台のトヨタS800をしたがえ、ラップを重ねる。4台同時フィニッシュを狙ったものだろう。しかし、田村/川合のトヨタS800は最終ラップの数メートル手前で突然ダウン。けっきょく2台の2000GTが1台のS800をサンドイッチにした形でチェッカード・フラッグを受けたのである。優勝のトヨタ2000GT(細谷/大坪)が24時間で走破した距離は3234q、平均スピード134.75q/h。市販を前提とした2リッター・スポーツカーで、しかも霧と雨の中での記録だから称賛に値しよう。33台出走中、完走20台であった。