VITAL FACTORY


VITAL FACTORYとは・・・

VITAL FACTORY とは レースと言う場に身を置いておいてオリジナルマシンを製作し

”走る実験室”として あらゆるノウハウを蓄積し 技術の発展を図る部門である。

VITAL FACTORY の原点はここから始まった。一足飛びでCR125フレームにRFVC250エンジンを搭載した

RVF250Rのようなマシンが出来たわけではありません。歴代XRをレースと言う場に投入し 戦って行くうち

様々なチューニングを試行錯誤を繰り返し その性能を検証する、地道だがその繰り返しである。


それらの各マシンを経由して ヴァイタル初のファクトリーマシン XR350R改に着手する。


↑上図がノーマルで下が完成型350改

350は600の我体に非力なエンジンと言う印象を受けた、もっと機敏なエンジンフィーリングに

しないと 車体が生きないと判断しエンジンチューニングに力を入れる。

350のエンジンフィーリングは耕運機のようで ビッグシングル特有の爆発脈動があり

メリもハリも無いフラットトルクで知らない間に吹き切れているようなエンジンでした。

ここから今で言う”通勤快足セット”が生まれました。

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学生からの”夢のマシン” エンジンがXRエンジンで車体がモトクロッサーの融合マシン

しかもその車体は250ccではなくコンパクトな125ccベースで無いと意味が無い。

そして 1988年春 RVF250Rの第1号 MKTが出来たわけです。


その”夢のマシン”を構想し始めたきっかけが‘81XR200Rを乗ってからでした、当時でも‘81XR200Rは

モトクロッサーよりサスストロークが長く 101kgと軽量で車体自体が非常にコンパクトに出来ていました。

逆車初体験の私はサスが良くバランスが取れたマシンの走破性がここまで異次元のスピードで走れるものかと

驚いたものでした、小さなキャップは無いが如く ジャンプの着地の衝撃も感じず 同じ苦労して走るにも苦労する

労力のレベルがハイレベルである事を実感する。

しかし サス自体はモトクロッサーレベルまでの質感には及ばなかったが、でも国内トレールよりは格段レベルが

高かった。今も昔も思うことですが同じオフロードを走る目的なのに なぜモトクロッサーとトレールの足回りは

ここまで差をつけるのだろう、‘81XR200Rのコンパクトさにモトクロッサーのサス、ハイパワーなエンジンの

マシンが出ないものだろうか。などと・・・

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=製作に至る経緯=

当時 最も出て楽しかったレース”クシタニクロス”を1ヶ月後に控え 噂に聞いていたチームがあのマシンで出てくる

と言う話を聞いた。出るレースは必ず勝っていた”KX250フレームにKDX250エンジンを積んだマシン”の参戦!!

それならウチはCR125フレームにXR250エンジンを積んだマシンを作り参戦しようと。しかし 周りにいた諸先輩方が

「載せ物をいろいろ作ったけど そんな簡単なモンじゃない 市販車のように何の不具合も無く普通に走れるよう作る事が

どんなに難しいか!舐めたらあかんで!!」と苦言を呈し きついクギを刺されました。そのきつい言葉にひるみつつ

”やったら〜”と言う闘志が逆に沸いて来ました。フレームは1年落ちの‘87CR125でまずエンジン搭載、スペースが

小さ過ぎてまったく載るような代物ではなかったがここは譲れないポイントでしたのでアンダーフレームを切り落とし

イチからの製作だ、エンジン搭載位置は1ヶ所しか無い チェーンライン、エンジン傾斜、キックライン、エキゾースト

パイプの干渉に加え キャブスペースの確保等などを満足する位置である、まずここが最低レベルの難関。

そして キャブのレイアウト・・・CRはXRのライン反対で左振りのライン。整備性も考慮してコネクティングチューブを

フロントフォークブーツを流用。マフラーは左右振り分けのツインエキゾースト。ここまで出来たのでエンジン始動し

確認。あとはタンクを載せるがヘッドと著しく干渉したので1年前の‘86タンクを選択、これでもヘッドとの干渉は

マシだが当たる、逃げをいかに作るかが問題でプラスティック溶接もダメ、アルミ叩き出しで作ろうかとも思うが

時間が無い 樹脂と言う材質は改造するには非常に厄介な素材であった。この問題は後回しにして サスに

入る。車重が125、250よりあるのでCR500をチョイス、これが絶妙なバランスを見せた。そしてタンク・・・

一か八か熱を加え樹脂変形に成功、充分なクリアランスは確保できた。ここまででレースまであと1週間。

休みに慣らしを兼ねて試走に出かけた レースがあるパーク神戸だ。2時間ほど完熟運転を行い そろそろ

アクセルを開けて本格的なテスト走行をしようと思った矢先 全開をくれてやるとエンジンが吹かず失速する。

ゆっくり開けても中速になるとやはり吹かない。ピットに帰り見てみるとブーツを使ったコネクティングチューブが

負圧でツブレている、ツブレ止めのフレームも入れているにもかかわらず・・・即 引き上げ輪切りチャンバーの

ように アルミで作り直した。しかし もう走る時間は無く”ぶっつけ本番” 不安を抱えつつ・・・

外装はXRと同じR−119フラッシュレッドに統一し XRらしさを誇張する為 ヘッドライトとテールランプは

あえて装備した(常時点灯)。その名をRVFと命名 RACING VITAL FACTORY

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=レース展開=

クシタニクロスのスタートは単車をフロント側から持ちフラッグが振り下ろされると単車にまたがりキックスタートする

伝統のスタート方式だ、90分のレースでライダー2人 相棒がスタートだがキックスタートに不安が募る 一発で掛かるように

ピストン位置を出し待機したが 不安的中!!キック5発ほどでやっと掛かりスタートした時には中盤ぐらいであった。1週目

ぶっちぎりで帰ってきたのがやはり”KX+KDX”だ、しかし 3〜5周もすれば追いつき2位につける 数周様子を伺って

そのうちトップに出た。しかし そこから抜きつ抜かれつのバトルが始まった。そして45分が経過 2台が同時にピットイン。

RVFは4ストなので90分はワンタンクで走りきる予定だ、しかし ”KX+KDX”は燃料補給を余儀なくされる これも

計算に入れていた。RVFはものの15秒ほどでピットアウト、”KX+KDX”がピットアウトした時にはすでに半周先を

走っていた。ピットサインを確認しつつペースを維持するが ”KX+KDX”が徐々に追いすがってくる、そうしているうちに

あせって”KX+KDX”は転倒して自爆リタイアした。その現場を横目で確認しつつペースを維持、2位とは随分差があったので

燃費の事も有り8部で流すが 残りこのRVFのポテンシャルの高さを攻め込んで試しながらゴールとなった。

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このRVFを作った年 年1度の大イベント、全国から集まる5月に行われる”白馬ガルルカップ”だ。エントリーは

何でも有りのオープンクラス6h・・・モトクロッサーもOKのこのクラスで勝ってこそ意味がある。(総数300台はあったかな)

車検ではモトクロッサーで参加車の中に”御願いだからジャマしないでねぇ〜”なんて4ストをバカにした声も聞こえたが

(この当時4ストは遅いと思っている2スト乗りは多かった)”見とれよ〜”と 静かな闘志がみなぎってくる。雑誌にも

取り上げられていたので”RVF”と言う名前は出てこないものの ”雑誌に載ってたヤツだ”と注目度はあった。

スタートはまたまた相棒で 練習走行は1周であったがスタートが早かったのでフラッグが振られた時には2周目に

入っていた。相棒が帰ってきた時にはメインスタンドには当然誰もいなく 相棒は”どうしたの?状態” もうはじまってるで〜

と GOサインを出し慌ててスタートしたような展開でした。あ〜ぁ 初めからハンデを負った展開に呆然となりながら

場内アナウンスに会場のギャラリーは耳を傾ける。”さぁ〜 オープニングラップを取るのはどのマシンでしょうか!!”

1周が5〜6kmあったのでなかなかトップが帰ってこない。そうしているうちに森の中の薄暗い林間コースに

独特の排気音が聞こえてきた、その暗闇にチラチラライトが見えてきた。そしてトップで姿を現したのはRVFであった。

その時の会場のどよめきは今でも耳に残っている、かくしてこのレースはトップを譲る事無く総合優勝を飾った。

チェッカー後 見知らぬ方々からし祝福の声を頂き かなりインパクトがあった実感もあり充実したレースであった。

ビックリしたのはレース後ピットでリヤタイヤを見た時 タイヤのブロックが両ミミを除いてすべて欠けていた、

石がゴロゴロしていたコースなのでいつこうなったか覚えていないが グリップの悪いコースだなとは思っていた・・・

この当時 ショップや個人でCR車体にXRエンジンを載せた改造マシンがチョコチョコ見受けられましたが

それはすべて250ベースのものでした、125フレームにRFVC250エンジンを載せる事がいかに難しいかを

物語っていた、 250フレームですとエンジンスペースが大きいので載せやすい、しかし125フレームですと

通常ではスペースが無く載らなかったからです。MKTは軽量らしき事はほとんど意識しなくても装備重量で

(エンジンオイル、ガソリン5リッター装備状態)実測102kgを実現している。狙い通り低重心で足付き性も良く

バランスは抜群に良かった。しかし125のサスでは腰砕けが起こり 250、500パーツを組み合わせバランスを

取った。しかし 雑誌の取材では一通りのマシン開発の経緯を話したのだが”モトクロッサーの足だから良い”の

一言で終わっていたことが実に悲しかった、エンジンフィーリングも”3サイクルエンジン”を称され 2ストと

4ストの良いとこ取りと言う意味で書いてくれたのでしょうが ユーザーには2ストのように煙を吐くんですか?!

何て言われ 苦笑した記憶がある。

1台のマシンを市販車のように作り上げる難しさ 普通に何の支障も無く走らせることの難しさ それと”いかにも

切った張った作り物”と言う無骨な仕上がりは許せなかった、”速いマシンは美しくなければいけない”と思っていたので

違和感の無い外観に仕上げる事の難しさを思い知る。パーツ切出、削出加工、溶接、樹脂形成、曲げ、旋盤、フライス、

塗装等など 何でも出来ないと思うようなマシンを作り上げる事が出来ない。それはあくまでもマシンがどうやって

機能しているかの各パートを熟知していないと支障が出る。そう考えると基本はノーマルがいかに良く作り込まれているかを

分かっていないと話しにならない。

ある雑誌のインプレで元ホンダのマシン開発をしていた人がライダーとして来た時”大体作り物のフレームは

2時間走り込んだらフレームにクラックが入る これは大丈夫のようだね”と言っていた。実際1年半レースづけ

でしたがフレームにクラックなど入った事は一度も無かった。当然 作る時に私なりに強度を考え作るのですが

逆に過剰な強度だったかも知れない。


‘88 デビュー戦を”優勝”と言う文字で飾ってからRVFの運命は決定付けられた。


出来たから完成!では無く レースを続けていけば足らない部分が必ず出てくる、その対策や

このマシンを振り回せるようになれば必然的に自分の腕も上がり マシンに新たな要求が出る。

ここがこうなればもっと速く走れる、そしてモアチューニング。それを扱えるようにまた練習。

マシンの進化と自分の腕の向上が同時に出来る 私にとって願ったり叶ったりの良い場なのです。

このマシンに対する要求が無くなった時初めて完成と言えるでしょう、その時には次のマシンの構想が

アタマに浮かんでいます。そうした繰り返しを常にやっていけば様々なノウハウや他と比べられない

技術力がおのずと付いてくると思いやってきました。

また 造ったヤツが走っている事が珍しいと良く言われますが乗って感じないとマシンの開発なんて出来ないんじゃ

ないかと逆に思うのです。



そして そのレプリカRVS(XRフレーム)をリリース (ナンバー付き)


RVF250R MkT -------RVS250R

‘88 RVF250R MKT

全長(m)2.135×全幅 0.825×全高 1.230   ホイルベース 1.423m  最低地上高 0.355m

  シート高0.925m  乾燥重量 102.0Kg  空冷4サイクル単気筒
   

エンジン形式 ME06E 排気量270cc  ボア×ストローク=76.0×59.5mm  圧縮比11.0 : 1

最高出力 36.0PS / 10.000rpm  最大トルク 2.8 kg-m / 8.000 rpm  常時噛合式6段リターン

キャブレター KEIHINN PJ08  ツインエキゾーストシステム

ベースフレーム ‘88 CR125RJ



RVF250R MK2は次回へつづく

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