You Tubeにて日産ワークス ラストのレースを見る事が出来る。

あらためてレースの展開を見ていると ストレートで抜かれ コーナーで前に出る

という展開で なかなか見応えがある。

もし“あれ”が無ければ とついつい考えてしまう。


1972 10/10 富士マスターズ250kmレース

日産ワークスKPGC10 最後のレース

詳細は
=ハコスカは最期まで”男らしい”戦いぶりだった=
を見てください。
 


日産ワークス:bP5黒沢 bP6長谷見 の2台

セミワークス(プライベーター):17正谷 18越田 20杉崎 21久保田 22飯村 23窪寺〜計6台

マツダワークス(マツダ・モータースポーツ所属) :

24寺田 25田中 26守部 u沒c 29片山 30武智 31岡本 32増田〜計8台

プライベーター:bQ8従野 34宮口(木の実レーシング所属) 33赤池 3台〜計3台


♯15黒沢元治号 出走前の五体満足な勇姿

こういう置き撮りがほとんど無いのが残念。

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のちに黒沢選手が雑誌のインタビューに答えて

日産チームの中では このレースを最後にGT-Rでのレースはやめようと言う事になっていたんだ。
ロータリー勢がのしてきていて GT-Rではもう勝てないというのが見えてきていたからね。
いやホントはこのレースだって出るのは止めようという声が多かった。
だけど古平メカから「もう1回だけやらせてくれ」と言う熱烈な要望が出て、じゃあやろうか、ってね。
出るからにはしっかり走ろうと言う事で 富士で事前テストをやった、足回りの見直しだ。
マツダのドライバーは片山はまあまあだけど、それ以外はアマチュア並みと思っていた。
そして迎えたGT-R最後のレース、オレは武智にぶつけられてその日を終えた。
昔のワークスドライバーはそんなにたくさん給料を貰っていた訳じゃないのに チームの為に結構無茶な事を
しでかすヤツがいたけど この時の武智がそうだったのかもしれない。
周回遅れの武智が命がけで体当たりしてきて それは危険なクラッシュだった。
だからコースアウトした後 オレはクルマを降りて武智をぶん殴った。
すると武智は逃げたよ。そしたら観客が「武智をやっちまえ!」と騒いだんだ。険悪な空気が流れたね。
オレの記憶では この日のスカイラインを応援しているお客さんの方が圧倒的に多かったように思う。
そんな中で武智が当てたものだから観客だって熱くなるのも無理も無い。
そのとき以来武智とは一度も会っていない。
人づてに聞いたんだが 武智は最近オレに会いたいと言っているようだ。
でも「ガンさんは怖い人だからやっぱり会うのやめとくか」なんて葛藤しているらしい。
オレ?怒っているだの とっちめてやるなんて気はもう全然ないよ。



ワンレースでベッコベコ



日産勢は実質♯15黒沢号1台で並居るローターリー勢に立ち向かった。
リタイア:16長谷見(8周目エンジントラブル)

後半ストレートでスリップにも入らず♯15黒沢号を抜いていたところを見ると

相当ロータリーは進化していたようだ。

HT・GT-R1台にローターリー3台がかりの

団子のような絡み合いの中で スルスルと抜け出し先頭に出る♯15黒沢選手は

前述で「片山はまあまあだけど、それ以外はアマチュア並み」と言っていた事が頷ける。

以降のGCシリーズの活躍を見ても黒沢元治選手の速さは“群”を抜いていたようだ。

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ひとつどうしても気になる事がある。

故渡辺氏の日産スポーツコーナー製のKPGC10R

残念ながらオークションに掛けられて業者の手に渡ってしまった。




生前 渡辺さんによるとワークス最終戦を戦った黒沢号に搭載されていたS20型エンジンユニットとの事。

コレが本当ならワークスの手による一番パワーがあるS20型エンジン

これ以上のエンジンは無いだろう。

「日産ミュージアム」モノ というか私的には「国宝」級

是非 保存して欲しい逸品だ。

出来れば全バラして フルコピーレプリカエンジンを作って欲しいものだ。

LYやOSよりも値打ちがある。


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