1972 10 / 10

‘72 富士マスターズ250キロ 富士6kmフルコース 右回り;晴れ

“ワークスGT‐R ラストファイト” GT‐R vs ロータリー


デビュー以来無敵の50勝を挙げ 今や熟成の域にあるスカイラインGT-R 一方この年急激な戦闘力アップを図ってきた

マツダロータリー勢は12Aエンジンを搭載するRX−3とカペラを揃え総力戦の構え。それはこの日のメインレース以上に

壮絶な「前座」レースであった。


ロータリー12Aはサイドポートでレシプロ換算2.292cc ワークス仕様で240PS+/9.500rpm、

エンジンブレーキが効きにくいハンディを補うべく徹底的な軽量化により車重は800kgほど。

以前よりバネ下重量を軽減して エンジン搭載位置も中央にずらす改良を加えてきた。

対し GT-Rは250PSにまで達していたエンジンだが車重は950kg。

=パワーウェイトレシオ=

RX−3の場合  ⇒ 車重800kg/馬力240ps=3.33kg

GT-Rの場合  ⇒ 車重950kg/馬力250ps=3.80kg

レシオにするとなかなかの差が見て取れる。

------------------------------------------------------------

=Tcクラス(スーパーツーリング)=

日産ワークス:bP5黒沢 bP6長谷見 の2台

セミワークス(プライベーター):17正谷 18越田 20杉崎 21久保田 22飯村 23窪寺〜計6台


bP5 黒沢 元治


bP6 長谷見 昌弘


=セミワークス(プライベーター)=

bP7 正谷 栄邦                              bP8 越田 祐司


bQ0 杉崎 直司                             bQ1 久保田 洋史


bQ2 飯村 幹夫                             bQ3 窪寺 康昌

------------------------------------------------------------

マツダワークス(マツダ・モータースポーツ所属) :

24寺田 25田中 26守部 u沒c 29片山 30武智 31岡本 32増田〜計8台

プライベーター:bQ8従野 34宮口(木の実レーシング所属) 33赤池 3台〜計3台


bQ4 寺田 陽次郎                         bQ8 従野 孝司


bQ9 片山 義美                          bR0 武智 俊憲


bR1 岡本 安弘                         bR2 増田 建基

------------------------------------------------------------

マツダは予選4日前から富士に乗り込み 4日間で500kmほど走り込んでいる、日産は予選前日に試走。

予選ラップ:このクラス初の富士6kmフルコース 3台が2分の壁を破った。

bQ8従野RX−3:1分59秒35 bP5黒沢GT-R:1分59秒70 bQ9片山RX−3:1分59秒94

このタイムは240ZGとほぼ同等(だが 240Zではすでに同年4月に高橋が出している)、2リッターでしかも4年も前の

モデルスカイラインでこのタイムは賞賛に値するとメディアは賞賛した。

絶好の気候(やや低め)とタイヤの急テンポの開発が大きく作用している事も間違いないが 日産、マツダ間の

ライバル意識が有ってこそこのクラスでこのタイムが達成されたと言えよう。

予選の後 2分を破った3人が互いの成果を語り合っていた、ココにはライバル同士の緊張した雰囲気は感じられず

力を出し切った男だけに通ずる談笑が見られた。


= 決 勝 =


スタート:

@29片山RX−3 A30武智RX−3 が抜群のスタートで先行、続いてB28従野RX−3 C15黒沢GT-Rが

直線を消えて行く。



横山コーナー(30度バンクからS字に入るコーナー)を抜けたところS字でで15黒沢が28従野を抜いて3位に浮上 

ヘアピンでは30武智 29片山 15黒沢 28従野 32増田 16長谷見がダンゴ状態で入ってくる。

直線ではやはりマツダ勢が速い 15黒沢も重量ハンディがあるGT-Rをスリップストリームでカバーし戦列を離れない。

2周目:

ストレートで4位の28従野に抜かれ4位に落ちるが30度バンクで再び3位に浮上。

S字切り返しで29片山RX−3 30武智RX−3 15黒沢GT-R が一団で突入したが 全力加速に入っている

状態で 30武智RX−3が一瞬鈍った、すぐ後ろに付けていた15黒沢GT-Rは武智のテールに接触、武智はスピンして

黒沢の行く手を塞ぎ再びぶつかった。黒沢はそのまま立ち上がっていったが武智のRX−3は右ドアをベッコリ 半開きの

ままピットへ。1周遅れで先頭集団に照準を合わせてピットアウト。この時点で15黒沢GT-R 2位浮上。



3周目:

30武智はトップ集団の前に出る。

29片山RX−3ハイペースの為かCDイグナイターがパンクしてS字でストップ、15黒沢GT-Rがトップに浮上。

しかし 前には1周遅れの武智が立ちはだかっている。

この時点で30武智RX−3 15黒沢GT-R 28従野RX−3  32増田カペラの順でヘアピン進入。

ヘアピンで30武智RX−3をアウトから抜こうとした15黒沢GT-Rはアウトに寄せられ

後輪をダートに落としながら鮮やかなカウンターで切り抜けるが28従野 32増田に抜かれ3位に後退。



4周目:

ストレートで30武智RX−3  32増田カペラ 15黒沢GT-R 28従野RX−3 の順で通過。

30度バンクで28従野RX−3 15黒沢GT-R 32増田カペラ 30武智RX−3 の順

後方で31岡本RX−3と16長谷見がバトルを展開。


5周目:

ストレートで28従野RX−3 15黒沢GT-R 32増田カペラ 30武智RX−3 の順で通過

6周目:

トップを走る28従野RX−3が100Rに差し掛かった時左後輪がバースト 並走していたギャランを巻き込みリタイア

救急車が出動するが両者とも無事。

7周目:

ストレートで30武智RX−3 32増田カペラ 15黒沢GT-R 28従野RX−3 の順で通過するが

30度バンク手前でスリップ利用した15黒沢が2位に浮上、横山コーナーで30武智RX−3をかわしトップに。

片山 従野が相次ぐリタイアで1周遅れの28武智に課せられた使命はなお一層重大なものとなった。

8周目:   

最終コーナーは15黒沢GT-Rがトップで立ち上がってくるがストレートで30武智RX−3 32増田カペラにかわされ

3位に後退。30度バンクで32増田カペラ 15黒沢GT-R 30武智RX−3の順に入れ替わるが横山コーナーで

15黒沢GT-Rが32増田カペラをアウトからかわし再びトップに。

GT-Rはコース前半に強い ストレート最終でRX−3が前に出ても S字入り口でGT-Rが抜くというパターンだ、ヘアピン

から後半ストレートはRX−3が速い。武智が立ち上がりもたついたそのテールに黒沢が追突、

前レースの16都平GT-Rと従野RX−3のプッシングを再現したかのようだった(下図↓)。

この一件で黒沢GT-Rと武智RX−3の対決はエスカレートしてゆく。

13周まで:

15黒沢GT-Rがやや水をあけてリード、32増田カペラ 30武智RX−3は互いのスリップを利用して15黒沢との

差を縮める。

14周:

最終コーナーからはダンゴ状態で32増田カペラ 15黒沢GT-R 30武智RX−3の順で出てくるが

ストレートで32増田カペラは15黒沢GT-Rにスリップに付かれるのをきらい大きく蛇行し逃げる、





3台は一団となり30度バンクへ。

32増田カペラがやや先行する中 15黒沢GT-R 30武智RX−3と続き 横山コーナーで15黒沢GT-Rは

またアウトから32増田カペラに並ぶ。この直後あの惨劇が起こった。


32増田カペラを抜きS字右カーブを回った15黒沢は切り返し直前で30武智RX−3に右テールを追突され

スピン、30武智は土手に向かってクラッシュ。15黒沢はダートに足を取られコースに戻れずリタイア(18位)となった。


レースを制したのは32増田カペラで所要タイムはこのクラスの新記録であった。

なおもう一人の日産ワークスドライバー16長谷見は8周目エンジントラブルでリタイア。


その他のGT-R戦績

7位:21久保田 14位:23飯村 15位:25窪寺 16位:17正谷 17位:20杉崎 18位15黒沢

リタイア:16長谷見(8周目エンジントラブル) 18越田未出走


=ハコスカは最期まで”男らしい”戦いぶりだった=

GT-Rデビュー以来 レースでの戦いは当初トヨタ1600GTとの戦いで マツダロータリーへと移行されていった、

最期の方になると各誌面には”王者スカイライン ロータリーに歯たたず!”の文字が踊る。登りつめたら いつかは落ちる時が

来るのは仕方がない事だが その戦いぶりは”王者”の名にふさわしいものだったと思います。

ファミリアロータリークーペ時代はエンジン10Aで規定により491cc×2ローター×2倍換算で1.964cc 対するハコスカは

1.989ccで同じクラスで戦っていたが車重はハコスカの方が重く 軽量のリミットも10%未満と限定されていた為 数値で

見る限り断然ロータリー有利であった。直線でロータリーが先行し コーナーでハコスカが抜き返すというレース展開が定番と

なったが メーカー各チームは編隊を形成し宿敵の行く手をチームワークで阻止した。

この時点では1周走るのにもトータルでハコスカに分があった。

その後カペラロータリー、RX‐3に12Aを搭載して来た 573cc×2ローター×2倍換算で2.292ccで 今となってはクラスと

しては1クラス上である。日産としては240Zと戦わせるべきところ 過去のレース活動の戦跡の中でこの挑戦から逃げなかった。

あくまでも”王者スカイライン”のプライドを掛けて総合優勝を狙ったのです。排気量も上、車重は軽い あとは引き続き開発の

追求とワークスドライバーの腕に委ね 活路を見出した。そんな中良く善戦したと思います。レース展開では当初のハコスカと

逆でロータリー勢が先行、陣を組みハコスカをブロックする展開に終始された。映像を見ても分ると思う、ハコスカ1台に

数台のロータリーが取り囲み潰す それも激しい当たり合いが展開された。今まで日産ワークスでもここまで露骨な事は

無かった。しかし 日産ワークス陣は受けて立った、立派である。



黒沢車 傷だらけの雄姿


‘72 10月10日 富士マスターズ250km スーパーツーリング・チャンピオンレース を終えてワークスドライバー“ガンさん”黒沢元治が語る。

「このレースは最初からロータリー勢に勝てない、このレースを最後にGT‐Rは引退すると言われてました。最初、武智はトップの従野を逃がそうと 僕をブロックしていました。2周目 S字の切り返しで武智を押してしまって彼がスピンしたんです。マツダにすれば故意に当てられたと思ったかもしれません。戦う前の話と逆でレース中 僕はGT‐Rに勝機はあると思っていました。いや 完全に勝てたレースなんです。そう確信していました。ロータリー勢と抜きつ抜かれつを繰り返していました。ピットエンドで抜かれてスリップストリームに入ってS字入り口ではロータリー勢はブレーキングが早いから スポンと前に出られます。もう勝てると思っていた時、彼はノーブレーキで入ってきてぶつかりました。あの時はショックでしたね。初めての経験ですが若気の至りでマシンから降りていって激しく抗議しました。観客はS字でボクが抜くシーンを繰り返し見ていましたから ボクの応援をしてくれていました。これがワークスGT‐Rの最後のレースになりました。」

のちに黒沢が雑誌のインタビューに答えて

日産チームの中では このレースを最後にGT-Rでのレースはやめようと言う事になっていたんだ。ロータリー勢がのしてきていて GT-Rではもう勝てないというのが見えてきていたからね。いやホントはこのレースだって出るのは止めようという声が多かった。だけど古平メカから「もう1回だけやらせてくれ」と言う熱烈な要望が出て、じゃあやろうか、ってね。出るからにはしっかり走ろうと言う事で 富士で事前テストをやった、足回りの見直しだ。マツダのドライバーは片山はまあまあだけど、それ以外はアマチュア並みと思っていた。そして迎えたGT-R最後のレース、オレは武智にぶつけられてその日を終えた。昔のワークスドライバーはそんなにたくさん給料を貰っていた訳じゃないのに チームの為に結構無茶な事をしでかすヤツがいたけど この時の武智がそうだったのかもしれない。周回遅れの武智が命がけで体当たりしてきて それは危険なクラッシュだった。だからコースアウトした後 オレはクルマを降りて武智をぶん殴った。すると武智は逃げたよ。そしたら観客が「武智をやっちまえ!」と騒いだんだ。険悪な空気が流れたね。オレの記憶では この日のスカイラインを応援しているお客さんの方が圧倒的に多かったように思う。そんな中で武智が当てたものだから観客だって熱くなるのも無理も無い。そのとき以来武智とは一度も会っていない。人づてに聞いたんだが 武智は最近オレに会いたいと言っているようだ。でも「ガンさんは怖い人だからやっぱり会うのやめとくか」なんて葛藤しているらしい。オレ?怒っているだの とっちめてやるなんて気はもう全然ないよ。

クラッシュ後 観客が黒沢の味方に付いたのは抜きつ抜かれつの手に汗握る好レースで観客が釘付けになっていたところ 一番落胆する卑劣な方法で黒沢を仕留めたやり方が怒りを買ったのではないかと思う、公平なジャッジは観客の反応であろうと思う。

また 先月9月2日 富士GC第3戦 富士インター200マイルレース で都平健二に再三“白・黒旗”を出しながら このレースで武智に“白・黒旗”が出されなかったのはどうゆう事だろう、レース運営側の不公平さがぬぐえない。結末を見るとマツダ側にペナルティを課してもおかしくない と 思いませんか。注)“白・黒旗”は「スポーツマンシップに反する行為」と言う事で、これを続けると最終的には“黒旗”によりピット停止が命じられる。

もし 黒沢の相手が個人的な友人でもある片山だったら寸止めのギリギリの勝負が繰り広げられたはず。武智が周回遅れではなく同一ラップでフェアな戦いだったら史上に残る名勝負になったに違いないのだが・・・<ノスヒロより抜粋>


日産ワークスとしての最期の映像
 牽引される姿はひと時代を築いたハコスカの終わりを告げた


新たにレア映像を見つけた↓

CARRY’s 360さん より

------------ Then -----------

この雑誌はマツダ側から視線を置いたRX−3 VS GT-R 当時を振り返る。

またワークスGT-Rラストの参戦レース、‘72 10月「富士マスターズ250km」を武智選手がこの雑誌で

証言している 「今だから言える」と・・・

You Tubeで挙げられているマツダ製作のプロモーションDVやこの雑誌でもあの一件には触れられていない。

当時を知らないボンチや穿った見方しか出来ない輩の中でいつもこの論争になっている。

この詳細はこのHPにて挙げているのが真実だ。

その「今だから言える」と言う内容は「あの日は絶対負けられなかった あれは私が故意に当てたんです」と。

確かに“GT-R VS RX−3”が激化していた頃 マシン同士の接触はどんどんエスカレートしていたのも事実です。

最後までクリーンな展開の富士マスターズ250kmを見たかったです、どちらが勝ったにせよ“昭和の名勝負”に

なった事には間違い無いでしょう。

なので この論争はコレでThe End!

ただ日産党としては黒沢選手の「あのレース勝てた」と言う言葉を信じたい。

PS.あの富士マスターズ250kmをもってワークスとして最後のレースとなる事は上の決定事項で

関係者には伝えられていた。

いずれにせよ ワークスGT-Rの最後の雄姿に変わりなかったようだ。

詳細

PS.2016 3月 片山義美氏 5月 武智俊憲氏 相次いでの逝去

歴史の生き証人が次々と・・・ 悔惜

敵ながら天晴れでした、あなた方が居たから日本のモータースポーツが盛り上がりました。

心より御悔み申し上げます。

------------------------------------------------------------


スカイラインGT‐Rはノーマル160PSから最終264PSまで引き上げた、重要なのは過給気や排気量を上げたのではなく

ノーマル排気量1989ccのままでで104PSアップまで上げてきた事です。この技術力がいかほどのことかは想像を絶します。

クラスが上のマシンと堂々と渡り合って負けたからといって決して恥じる事ではなく 逆に誇りにさえ思う事ではないでしょうか。

ケンメリの発表がもっと遅く ワークスHTGT‐Rでもう少し戦わなければならなかったとしても排気量アップをせず2000ccの

ままで戦っていたであろう、現にその次期秘策エンジンも完成されていたようだ。しかし 安易な排気量に頼らず開発を行うのが

“プリンス”の精神だろう。12AのRX‐3が富士スピードウェイ6kmコースラップを2分切った時 ハコスカも及ばずながら同日

切っている。しかし良く考えてみると同クラスの240Zは1年以上前に既に2分の壁を切っている事からみればRX‐3のトータル

バランスがいかほどのものかが伺える。当時のメディアを見ても “GT‐R、RX‐3に及ばず”の見出しが連呼されていたが 

スカイラインGT-Rが不動の王者として君臨してきた実績を逆に賞賛している証かもしれない。


PS.日産系から出ている資料もほとんど出尽くして 逆にロータリー側がハコスカを負かした と言う記録資料がマツダ側に

  必ずあると思い探しているがそれがほとんど見当たらない。日産は広報映像などたくさんあるのにマツダは作っていない

  のだろうか。あのハコスカの連勝を止めたロータリー として・・・何故だろう・・・ 後年ルマンを制した唯一の国産車のみである。

  それに”あのハコスカを負かした”RX‐3が 後年 意外とハコスカほど賞賛されていないのと 中古車としてあまり見ないし

  台数が少ないのは何故だろう。


=貴重映像発見=

You Tube https://www.youtube.com/watch?v=-FxRKMD071o&t=15s

’72 富士マスターズ250キロのマツダ側のレースシーンが見られる どうやら海外向けか海外で製作されたもののようだ。

問題のシーンはカットされ見る事は出来ないがbP5黒沢のスカイラインGT-Rのすばらしい走りが堪能出来る、

RX−3対GT-Rで車体の動きや安定性、機敏性は誰が見ても一目瞭然。レース展開なども見ればすっきりしない戦略に

後味悪さが残る印象だ、これを見ればスカイラインファンで無くても“GT-Rがんばれ”と味方する人は多い事と思う。

------------ and -----------

このYou Tubeの投稿の抜粋です。

kpgc10gtrracing46 2 年前

この動画は72年暮れのモーターショーでマツダブースで観ました。

実際にサーキットでも観ていましたがグラチャンのサポートレースなので普段はテレビ中継されない物ですが、

レース内容が余りにも醜い為 テレビ放映もされました。

この画像は個人撮影ではなく殆ど全コースを撮影しています。撮影したのはもちろんマ○ダです。

その為武智のバンナが黒沢GT-Rの前でブレーキを踏んだり横になって黒沢に追突させたりしているところは

マ○ダの都合の良いように編集されています。ドアを破損していきなり武智バンナがピットインしてきます、

その後周回遅れにも関わらず黒沢GT-Rをヘヤピンで外に押し出したりします。

テレビ放映では田中健次郎さんが「こんな事を黙ってやらせては駄目です、武智のサバンナに黒旗を出すべきです」と

怒っていました。私が実際に富士で観たのは黒沢GT-Rがトップの状態が多かったです。

武智のバンナが最後は黒沢GT-Rに体当たりしてお互いにレースに戻れませんでした、

テレビでは黒沢元治が武智選手に殴り掛かっているところも映しました。

この動画では他のGT-Rがスリップしているところを入れて誤摩化しています。悪く云えば捏造です、で増田はタナボタです。

〜編集〜

スタート前にマツダの御大.片山義美さんに日産の北野元が「あんまりいじめるなよ、こっちは2台しかないんだから」と

牽制しています。場内アナウンスでは「日産がこのシャーシでレースに参加するのは、これが最後と思われます。

周りをロータリー勢に囲まれてしまった黒沢元治GT-R、はたしてどのようなレース展開を見せてくれるのか・・・」

私達はこのアナウンスを聞いて「ウソだろう」スカイラインの居ないレースは当時想像出来ませんでした。

長谷見GT-Rがレース途中トラブルでリ-タイヤしましたが、いつもならリタイヤしたマシンは裏の方に持っていくのですが、

長谷見さんのGT-Rはピット前に止めてレースが終わるまで長谷見選手がスカイラインの横で寄り添っていました。

これを観た私達は「箱スカGT-Rの引退は本当で、長谷見さんは最後のファンサービスをしている」と

思うしか有りませんでした。

10年後、長谷見選手は同じレースにトミカスカイラインターボで出場してロータリーパーワーを問題にせず

堂々と優勝しています。もちろん私はサーキットでそれを観ました。


Cindy Onaka 1 年前

増田建基は先日、永眠いたしました。
どなたにもお知らせすることなく身内のみで密葬としましたので、
お世話になった方々に、この場を借りてお礼申し上げます。
そしてKEN4227様。貴重な映像をアップして下さり、本当に有難うございました。
ここへ来れば、いつでもあの頃の彼が走っているなんて・・・感動です。
素晴らしい時代になったものですね。


AUTO SPORTS記事


お約束 レーシングGT‐R戦歴索引


サバンナ100勝の記録

http://rx-3.web.infoseek.co.jp/treasures/paper/v100_2.html



戻る