言わずと知れたスカイライン伝説はS54B(生沢徹選手)がポルシェ904を1周だけだったが追い抜き

トップに立った時から始まった。

その名も “羊の皮を被った狼” 見た目はおとなしい箱型セダン、しかしひとたび走り出せば・・・ これが渋い

“昭和の価値観”

不言実行〜何も語らず自ら率先して見せること、個性〜見た目ではなく内から滲み出すもの 自由〜決まりごとの中で

周りのことも考えて自分の意のままに振る舞うことができること  “昭和の価値観” 今ではその価値観も変わって

しまったように思える。有言実行 個性:中身はともかくまず見た目から 自由:勝手気まま・・・


私のハコスカに対する構想(仕上げ方)も歳を追う毎に変わって来るようになりました、当初(二十歳ぐらい)はレース場で

見栄えがするスタイリングがカッコイイと思っていました、実際そんなハコスカを街中で見かけると凄く違和感を感じました。

次にはもうチョッとおとなしいセミワークスオーバーフェンダー仕様。

これもド太いタイヤが路面のギャップでバタついているのを見てからテンション↓ カッコ悪かった。

今は出来るだけ見た目はドノーマルで “あぁ 綺麗に大事に乗ってるんだなぁ”と見る人が感じるような。

中身は当時の日産ワークスの技法で作り上げたい カッコ良さは機能美から来るものでありたい。

トータル的な速さの基本は “扱い易さ” それにドライバーが望むポイントを加味し仕上げてゆく。

キンキンにチューニングするメリット、それに伴うリスクは表裏一体だ。ハコスカの構造やレイアウトを

ココ最近の様々なパーツ群を購入してみたり見聞すれど 見れば見るほど無理が有ったり違和感が否めない。

知れば知るほど当時の技法の有り方が理想的に思える。

一見 ドノーマルに見えてもサスのレイアウトや排気音 走り出しなどの加速、車体の動きなどを見れば

“おぉ あぁ見えてもヤルところはヤってるな”と感じさせるものでありたい、それが昭和のハコスカの渋さ カッコ良さと

信じている。


↑ ドノーマルも悪く無いがやはりチョッとヤンチャ感が欲しい となるとやはりコレになる ↓

それと 当時ちまたで流行っていたものにはまったく興味が無いのでココで触れる事は無い。

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私が今のエンジンチューン内容にした訳は次のグラフに表される。

若かりし頃は他の項でも記しましたがメカチューンにしてもターボチューンにしても出来るだけパワー側に優位になるように

排気量は大きければ良いだろう、カムはきつければ良いだろう、圧縮は高ければ良いだろう、キャブは大きければ良い

だろう、ブースト圧は高ければ良いだろう、エキパイやマフラーも太ければ良いだろう的なパーツ構成で組んでいました。

古くても最近のクルマに負ける事が無いように 舐められないようにと そればかりに気を配っていました。(特にZ系に

乗っている時) そしてその結果、上のグラフで@までのパワーが出ているとしても 実際 一般でも結構荒い使い方を

してもBぐらいしか使っていないという事に気が付いた。ヘビーチューンすればするほど あらゆる別のリスクが必ず

付いてくる。それなら ちょっと手前に戻してソコソコチューンに止めれば そのリスクも無くなる事が多い。それなら

Aぐらいのパワーが出れば良いじゃないか と。しかし そのAも一般公道を走るにおいて今の新しい車に劣るのは

嫌だ。その今の新しい車にしてもいくらパワーが有っても同じ事が言えると思う、実際 フルに使う事はまず無いだろう。

普段でも今の新しい3ナンバー車がチンたらチンたら走っていて“お前 軽で充分だろ”と思うシーンもしばしば有ると思う、

トレンド的な所有欲でそんな車を乗っているんじゃ無いかと思われる事が多い。だからそんな使い方でもチョット余裕の

あるパワーを確保出来れば充分だというトコロに落ちついてきたのです。それがAのパワーカーブを描くエンジン作りに

なるわけです。旧車でもそんなイマドキの車を尻目にスイスイ走れればシブイかなと思うのです。

しかし やり方に関しては当時のチューニング方法を継承し行いたい。


外観は除き 走りにおいての車体レイアウト ディメンション コンセプトはKPGC10Rを忠実に継承再現したい

↓↓

あくまでも一般公道での使用と言う事をわきまえて構成を考える


             ↑この中身に                     ノーマルハコスカのカバーを被せたようなクルマを目指したい

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それと気を付けなければならないのが車高だ、下げれば良いみたいな傾向があるようだが・・・


横から眺める分にはソコソコかなと思うが


真後ろから見るとこの状態だが、下がってるなぁと思ったら必ずハの字をかく、
そして地面に摩らんばかりにマフラーが・・・ 段差が有る所になると蛇行&徐行。
オイルパンがべコベコ凹んでいるのが多いのが何故か肯ける。
私的には果たしてこれがカッコイイとは思えないのだが・・・。


中古で売りに出ているほとんどがこんな状態のものばかり・・・
 まさかオイルパンにジャッキを掛けるアホは居ないだろうし、下げ過ぎの産物に他ならない 信じられない


フロントもリアも構造を見れば思うほど下げる事が出来ない事が分かる



当時のワークスGT‐Rでさえこんな感じ 当時のレギュレーションもあるが
ドライブシャフトがデフと水平にセッティングするとこのようなレイアウトになる。



当時のプロダクションレースの一シーンだが中身は日産スポーツコーナーのパーツで武装したGT‐R Racing、
ノーマル風で速いのがシブイと思いませんか?

クルマの美しさは勿論元のスタイリングもあるがパッと見た目にはノーマルだが各部のレイアウトやディメンションによって
ウチから醸し出す雰囲気の違いで示したい。レーサーは要らない飾り物は一切無い、その美しさは機能美から来るものです。
レーサーの美しさや格好良さがそうであるように街乗り仕様でもその機能美から来る “ノーマル風だけど何か違うな”と言うものを
演出したい。

後項でも紹介していますが L型エンジンを自分なりにチューニングして来ました そんな経験も踏まえた上で ここに紹介する
仕様に あえてしています。また各パーツ類も一通り揃えた上での決定です。知らなくて 経験が無くではなく あえてでの事です。

ですので 外観はノーマルを維持しつつ 中身は日産レーシングマニュアルに準じて行い、そして装備もタウンユースに
違和感の無いよう厳正に精査し作業に取り掛かりたい。

また 許されるならばクラシックレースに出れるよう もう1台レース専用車が欲しい、となれば また まったく仕様のすべてが
違ったマシンが作れ それが何処まで走れるか試してみたいのだか・・・


↑上図2点の写真は青地康雄氏に頂いたものですが青地さんが持っていたと言う事はワークス掛りのものに違いない

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“出来る事は自分でやれ!”

良く “自分でやれるから良いですね”と言われる が 要はやる気があるかどうかだ。それにやり始めなければ

いつまで経っても出来るわけ無いし 初めから出来るヤツも居ないだろう、しかし 自分でやるからにはリスクや

自分の不備はそのまま自分の身に跳ね返ってくるのも事実 言い訳や責任転化は出来ない、

そう言う事もすべて理解した上で実施したい。

クルマは触るにしても走るにしてもオーナーと対話しながら乗る生きもの。

調子が悪いとか 不具合があれば音だったり振動だったり 何かの方法で訴えてくる、

今のクルマはエンジン、サス、ブレーキに至ってもすべて電子制御、少々のエンジン不調もコンピューターが

補正してくれて表面に出にくくなっている。

その五感に訴えてくる諸々がお気に入りのクルマなら尚更で それが楽しいし醍醐味だ。

特にこの年代の車は要らない便利GOODSなど一切付いていないのでエンジンルームなどでもヘタすると中に

立てるかなと思うぐらいスカスカだ、しかし今のクルマは言うまでも無くカニの甲羅を捲ったかのようにボンネットの

形と同じようにビッシリと詰まっていてオイルフィルター交換でさえバンパーを外さないと出来ないのが普通だそうだ。

今のクルマに比べると組んであるパーツ数も少ないので何処を整備するにも気楽にやろうかなと思う。

私の場合 自分が求めるものが出来るお店にしてもショップにしても縁が無い、整備屋 塗装屋 板金屋 窓枠屋・・・

しょ〜も無い仕事でボラレるのが落ちであった、言う事は立派だがウデがついて来ないヤツらばかりだった。

普通は高い金額を払いやってもらうのが通例かもしれない、しかし出来たものが・・・ イヤになって転売なんて

よく聞く話だ。ある程度出来る人から見れば コレだけお金が掛かった コレだけ掛けた と言うハコスカを見ても

その価値は見い出せないだろう。

だから人任せに出来ず自分で出来るところは自分で と言う風になったのもひとつの要因だ。

“納得”がいくからと言うのが一番である。それに常に状態が把握できて乗り込んでいくうちに次の課題が見つかったり

次のステップに進化していける。手を掛ければ掛けるほど愛着もヒトシオになり余計手放せなくなる。

こだわりのハコスカには妥協なき “こだわり”を節に望んでやまない、ただ私の周りには同じ価値観を共有出来る

逸材が居ないのが非常に残念でならない。

To be continued.


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