1963(S38)
5月 第1回日本グランプリ(鈴鹿)〜プリンス自工惜敗 3クラスのレースに勝ったがトヨタがレース後 この成果を大々的に宣伝した為 他メーカーも第2回日本グランプリに向けて体制を整える。
7月 第2回日本グランプリに向けてプリンス自工活動開始 スカイライン1500デラックスのボディ+グロリア(S41 2000cc)エンジン搭載〜試作車製作
9月 スカイライン1500(S50)発表 1484cc OHV 70PS
1964(S39)
3月30日 スカイライン2000GT(S54A)発売
5月 スカイラインGT発表 1988cc OHC 105PS G‐7型エンジン
5月3日 第2回日本グランプリ スカイライン2000GT VS ポルシェ904 1ラップではあるが7周目にポルシェ904からトップを奪う ドライバー生沢徹 <以降 ポルシェに勝てるマシンとしてプリンスR380 プロジェクト開始>
11月22日 第1回JMSAドラッグレース (群馬県館林の飛行場にて) 0→400mレース。スカイラインGTで横山達が16秒10のベストタイムで優勝 式場壮吉のポルシェ904 16秒80を破る。
1965(S40)
2月28日 クラブマン谷田部タイムトライヤル SCCNほか3クラブによる主催。JAFのクラブマン育成方針のもとに開かれた最初のイベント。2回にわたるトライアルの合計タイムが競われ プリンスチームの横山達がスカイラインGTでベストタイム。
5月 第3回日本グランプリ 中止 プリンスR380 デビューの場を失う
6月20日 KSCC1時間自動車レース(鈴鹿) スカイラインGT(生沢徹)の優勝
7月18日 全日本自動車クラブ選手権レース(船橋) <T‐Uクラス>スカイラインGT 杉田幸郎 優勝
8月15日 船橋スピードトライアル ・グランナショナルストックカーレース〜スカイライン1500 大石秀夫 優勝 ・セダンエンデュ−ロ2時間耐久レース〜スカイラインGT 小林元芳 優勝
8月22日 KSCC1時間レース(鈴鹿) <T‐Uクラス>スカイラインGT 田中八郎 優勝 <GT‐Uクラス>スカイライン2000GT 生沢徹 優勝
9月 スカイラインGT‐B 発表
9月19日 ゴールデンビーチトロフィーレース(船橋) Tレース〜スカイラインGT 野依豊 優勝
10月6日 第3回日本グランプリ中止で目的を失ったプリンスR380は速度記録に挑戦 52周目バンク出口でタイヤバースト クラッシュ 〜中止 ドライバーに怪我は無かったが以降にタイムトライアルを延期
10月10日 第6回ナショナルストックカーレース(川口オートレース場) スカイラインGT 小林元芳 優勝
10月14日 プリンスR380 再度 速度記録に挑戦 FIAに谷田部が公認されていなかったため日本新記録に留まる。6種目日本新記録 ドライバー杉田幸郎
11月21日 第7回ナショナルストックカーレース(船橋) セダンレース〜スカイラインGT 野依豊 優勝
1966(S41)
3月27日 クラブマンレース富士大会 GTレース〜スカイラインGT 大石秀夫 優勝
4月11日 シンガポールGP スカイラインGT(外人ドライバー) クラス優勝
R380-T
Overall length:3.930mm Overall width:1.580mm Overall height:1035mm Wheelbase:2.360mm 最低地上高:100mm Curb weight:660kg
フロントトレッド:1.280mm リヤトレッド:1.260mm タイヤ:フロント5.00L‐15 リヤ6.50L‐15 ステアリング:ラック&ピニオン
ブレーキ:ガーリングタイプ4輪ディスク
エンジン:GR−8 水冷 直列6気筒 DOHC ボア×ストローク:82×63mm 1.996cc 気化器:ウェーバー42DC3×3連
点火系:フルトランジスター 200PS/8.000rpm ヒューランド5速ミッション
5月3日 第3回日本グランプリ 待望のプリンスR380‐Tデビューレース R380‐Tエントリー4台 1位:プリンスR380‐T砂子 2位:プリンスR380‐T横山 3位:トヨタ2000GT細谷 宿敵ポルシェカレラ6を破る。<TSレース>スカイライン2000GT 須田 優勝
5月29日 全日本レーシングドライバー選手権レース(鈴鹿) <ツーリングカーレース> スカイラインGT 砂子義一 優勝
8月14日 全日本レーシングドライバー選手権第3戦(富士) <ツーリングカーレース> 1〜5位スカイラインGT独占
8月 プリンス自工と日産自動車が合併
R380-U modified
Overall length:4.080mm Overall width:1.625mm Overall height:985mm Wheelbase:2.360mm Curb weight:590kg
Engine type:6 in line Displacement:1.996cc Max.PS,220/9.000rpm Max.torque:20.5kg-m/6.800rpm Power/weight ratio (kg/ps):2.78
Clutch:Borg & Beck Transmission:ZF,5DS-25 Body:FRP Chassis frame:Tubular spaceframe
Wheel rim7in. front, 8in. rear Fuel tank capacity:100L タイヤ:5.00‐15 6.50‐15
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1967(S42)
2月 プリンスR380‐T から R380‐U へ発展
2月14日 ニッサンR380‐U 発表
5月3日 第4回日本グランプリ(富士) ニッサンR380‐Uデビュー戦 エントリー4台 1位ポルシェカレラ6生沢徹 2位ニッサンR380‐U高橋 3位R380‐U砂子 ・スカイラインGTC グループ5 出場失格 ・GTB〜優勝
5月 日産 自動車技術会賞受賞
5月28日 全日本スポーツカーレース船橋大会 Tレース スカイラインGT 田中健二郎 優勝
6月 ニッサンR381 プロジェクト開始
7月23日 富士チャンピオンレース スカイラインGT両角勝郎 優勝
10月8日 ニッサンR380‐U 国際速度記録に挑戦 7種目にわたる国際記録樹立
11月12日 全日本鈴鹿2時間レース <T‐2クラス> スカイラインGT 田中健二郎 優勝
1968(S43)
3月13日 R381 第1号車完成 <クローズドボディ>
3月18〜19日 谷田部にてニッサンR381<クローズドボディ>初走行
3月22日 ニッサンR381<クローズドボディ>富士スピードウェイへ出現 チャーリー・へイスを招いてテスト
ニッサンR381
寸法・重量:全長3.995mm 全幅1.840mm 全高(翼付)1.260mm ホイルベース2.470mm 最低地上高100mm
エンジン:シボレー製V型8気筒5.460cc ボア×ストローク103×83mm 燃料装置 ウェーバー・ツインチョーク4連装
変速機:ヒューランド5速 タイヤ:ダンロップレーシングフロント:4.75/11.30‐15 リヤ:6.00/13.50‐15 燃料タンク:170L(標準)
ブレーキ;フロント/リヤ ガーリング製ベンチレーテッド・ディスク サスペンション フロント/リヤ ダブルウイッシュボーン
エアロスタビライザー:(翼)液圧により後輪サスペンションと連動して2分割ウィングが個別に作動、コーナリング時の接地力を増大する。
また ブレーキぺダルとも連動、この場合は2枚の羽根が同時に立ち作動し製動力を高める。
性能:最高速度320km/h タコメーター 8.000rpmまで
4月10日 オープンタイプR381‐T 富士スピードウェイにて来る第5回日本グランプリに向けてテスト開始 当初のR381はクローズドボディであったがオープンタイプの方が重量が軽く出来る、シャシ構造が簡単という理由で変更された。
5月2日 日本グランプリ公式予選 この日の為に開発されてきた日産V12 5リッター GRXエンジンが間に合わずシボレーV8を搭載して出場。 結果 ポールポジション#18高橋 2位#20北野のR381‐T #19砂子のR381‐Tは耐久力の点で心配されたシボレーV8エンジンから煙を吐き、徹夜のオーバーホール作業を強いられる。
5月3日 第5回日本グランプリ 決勝 JAF主催 富士スピードウェイ ニッサンが5.5リッターのR381‐Tを3台(高橋、北野、砂子)、トヨタがプロトタイプのトヨタ7を4台(福沢、フシコ、細谷、大坪)、それにタキレーシングから生沢徹がポルシェ910、酒井正、長谷見、田中がローラT70、片平浩がポルシェ906の計5人が出場、T・N・Tの対決となった。このほかダイハツP5が4台など計25台 予選は高橋1分50秒88 2位北野1分52秒21 3位長谷見1分52秒25 4位酒井正1分54秒98。80周の決勝レースではパワーを誇るR381‐Tが断然速く 高橋、北野が1、2位で走行、タキのローラ勢がいずれもトラブルで前半に後退。トップの高橋はは31周でピットイン その後は北野がトップ、終盤になって生沢が追い上げたが1周遅れ、ウィングが付いたR381‐Tの北野が優勝 2位生沢 3位黒沢R380‐U トヨタ7では大坪の8位が最高だった。後になってわかったことだが 北野のR381‐TのシボレーV8のクランクシャフトにクラックが入っていた、あと1周あれば北野車は潰れていたかもしれない。
7月21日 全日本富士1000キロレース エントリー78台:トヨタ73台 ローラT70 ポルシェ910 ニッサンR380‐U2台 ダイハツP5 2台 R380‐U健闘虚しく入賞出来ず。
9月23日 鈴鹿1000キロレース エントリー:トヨタ7 ニッサンR380‐U ポルシェ910 906 ダイハツP5 べレット フェアレディ。 予選はニッサンR380‐Uがトヨタ7を抑える。 決勝レース:トヨタ7とR380‐Uとの間でトップ争いが行われたがR380‐Uリタイヤ、トヨタ7が優勝。
10月 スカイラインシリーズ フルモデルチェンジ<愛のスカイライン>2000 1800 1500
10月20日 NETスピードカップレース 予選:1位ローラT70 2位ローラT70 3位トヨタ7 決勝:1位トヨタ7 2位トヨタ7 3位ニッサンR380‐U 4位ニッサンR380‐U
10月26日 第15回東京モーターショー スカイライン2000GT(GC10)にR380のGR8のエンジンを載せたGTを参考出品 のちに”GT‐R”と命名
12月 PGC10生産試作車完成 谷田部、富士でテスト(ノーマル) ‘69JAFグランプリ目指して PGC10Rプロジェクト開始
1969(S44)
2月21日 PGC10T発売計500台程度生産された。
5月 富士スピードカップレース ニッサンR381‐U優勝 ニッサンR381‐Uは日産V12 GRXエンジンを搭載し リヤウィングを高くしてラジエターとオイルク−ラ−を一体化してフロント部へ サイドポケットの形状変更等 R381‐Tを改良したもの。
5月3日 第6回日本グランプリ PGC10‐Rのデビュー戦 トヨタ1600GTと激しいレース展開を繰り広げ 終盤ファイナルラップでトヨタ1600GTが走路妨害をしてフィニッシュした為ペナルティ1周を課せられPGC10‐Rの逆転優勝。初陣を飾った。
5月11日 フジスピードカップレース ”栄光への5000キロ”の撮影で日本グランプリのシーンを再現する為規格されたレース、R380‐Vが顔を見せる。”V12ニッサン5リッター”のR381‐U北野が独走。
■エンジン レイアウト:水冷60度V型12気筒 ギヤトレイン駆動DOHC 排気量:5.954cc(ボア×ストローク数値・未公表)
最高出力、最大トルク:600ps以上、65kg‐m以上 バルブ数:各シリンダー4バルブ 計48バルブ
燃焼室型式:ぺントルーフ型 中央プラグ シリンダー型式:アルミニューム合金ブロック、ウェットライナー
クランクシャフト:一体構造、120度位相差 燃料供給装置:ルーカス製低圧定時噴射装置式、メカニカルポンプ
噴射装置駆動:両バンク吸気カム軸後端で直結駆動 点火方式:三菱電機製フルトランジスタ方式(各バンク別)
プラグ配置及び個数:シリンダー中央軸上、各シリンダー1個 潤滑方式:ドライサンプ エンジン重量:250kg(乾燥重量)
■動力伝達装置 クラッチ:ボーグ&べッグ型、乾式多板(3プレート) ギヤボックス:ヒューランド製LG600/変速段数:前進5段、後退1段
■フレーム、サスペンション、その他
フレーム構造:溶接用高力アルミ合金パイプ使用、特殊型スペースフレーム/サスペンション方式:フロント ダブルウィッシュボーン、
コイルスプリング リヤ:ダブルラジアスロッド、Iアーム、逆Aアーム、コイルスプリング、前後ともワンウェイタイプテレスコピックショックアブソーバ付
ブレーキ:全輪ガーリング製ベンチレーテッドディスク、アウトボード装備 燃料タンク:ファイヤストン製 “セーフォーム”、中央サイドのボックス‐
セッション内部に装備 タンク容量:220L タイヤ:ファイヤストン製フロント10.10‐15 リヤ6.00/15.50‐15 ホイル:マグネシューム合金鋳造
ボルトオン式(5本ボルト)
■寸法・重量 全長4.045mm 全幅1.870mm 全高(ロールバー上まで)925mm ホイルベース2.400mm トレッド前1.470mm後1.370mm
最低地上高85mm 車両重量:790kg(乾燥重量)
7月25日 ニッサンR382 第1号車完成(ニッサンGRX‐3 V12 6リッター 600PS) 谷田部にて初走行 後期のものとボディ形状が少し異なる。オイルク−ラ−の欠陥が見つかる。
7月27日 ‘69全日本富士1000キロレース ニッサンR380‐U トヨタニュー7 ローラT70 ポルシェ910が出場。 1位トヨタニュー7 2位トヨタ7 3位R380‐U黒沢
7月29日 ‘69全日本富士1000キロレース ニッサンR380‐V〜R380‐Uをワイドタイヤ化 ボディしたモデル。 決勝:総合2位 R‐Uクラス優勝
8月 ニッサンR382 富士でテスト開始
8月10日 NETスピードカップレース ここに出場するニッサンR381‐UがR381のシンボルである可変式ウィングは取り付けられていない。#21 R381‐Uはペインティングが少々異なる。エアボックスとテールにリヤスポイラーを装備。ニッサンR381‐U トヨタニュー7 ローラT70など22台が出場。2ヒート制で行われた。R381‐Uはエンジントラブルでリタイヤ #20 21
10月10日 ‘69日本グランプリ(日本レース史上最高のビッグイベントとなった) 自動車メーカー中心のレーシングカーによる最後の日本グランプリとなった。6リッターのニッサンR382(黒沢、北野、高橋)とトヨタ7(川合、フシコ/高橋晴 久木留/細谷 エルフォード/高橋利 蟹江/見崎)に加えて当時実力1のポルシェ917がタキレーシングから出場、ドライバーはシファート/パイパー。さらにポルシェ908でヘルマン/田中 ローラT70で長谷見/永松が出場 TNTの対決と言われた。このほかいすづ5リッターのR7(津々見/米山/西野)1.6リッターのR6(大森/浅岡 米村/粕谷)を出場させ クロサワレーシングがマクラーレンM12(へイルウッド/大石 モッチェンバッハ:不出場)2台参加してビッグマシンが中心となり ホンダS800円のレーシングカーを加えて31台が出場。
予選では当時驚異的な1分44秒77を北野がマーク 1〜3位はR382 4〜6位をトヨタ7 ポルシェ917は7位。決勝120周レースではスタートこそトヨタ7が先行したもののパワーを誇るR382が圧倒。高橋がトラブルで遅れたものの黒沢、北野が最後までリードを保ち他車を1ラップしてフィニッシュ。1〜2位R382 3〜5位トヨタ7 6位ポルシェ917 日産陣営〜平井総監督<GT‐Sクラス>PGC10‐Rに燃料噴射装置初採用 1〜8位独占 通算7勝
10月19日 オーストラリア6時間耐久レース サーファーズパラダイスサーキットで行われた6時間耐久レースに高橋/砂子 北野/黒沢の2台のR380‐VがローラT70、フォードGT40、マッティッチSR3(5リッター)などのビッグマシンに混じって出場 次々とこれらがリタイヤする中で完走。高橋/砂子が3.2kmコースを258周して優勝、2位も同じく北野/黒沢のR380‐V。
11月3日 ‘69全日本鈴鹿自動車レース大会 Uクラス 都平 PGC10‐R 優勝 T‐Uは都平(PGC10‐R)選手権を獲得
11月 フェアレディZ432発売(PS30D)160万円 GT‐Rと同じS20を搭載
12月 ニッサンR382 テールに2分割可変ウィングを装備して富士へ出現。いよいよCAN‐AMに挑戦か!
1970(S45)
1月18日 鈴鹿300キロ自動車レース 雪 予選:フェアレディZ432R 決勝:3位PGC10‐R高橋
R383 Nippon GP type
Overall length:4.115mm Overall width:2.030mm Overall height:1.080mm Wheelbase:2.400mm Curb weight:740kg
Engine type:V12 Displacement:5.954cc Max.PS,700 Max.torque:66kg-m Power/weight ratio (kg/ps):1.06
Clutch:Borg & Beck Transmission:Hewland LG500 modified Body:FRP Chassis frame:Alloyed Alminium Semi-monocoque
Wheel rim12in. front, 18in. rear Fuel tank capacity:400L
--
CAN-AM type
Overall length:4.115mm Overall width:2.030mm Overall height:1.055mm Wheelbase:2.400mm Curb weight:740kg
Engine type:V12(turbo charger) Displacement:5.954cc Max.PS,900 Max.torque:90kg-m Power/weight ratio (kg/ps):0.82
3月 ニューマシンR383のスタイリング決定 風洞実験
3月22日 ストックカー富士300キロレース <TSレース>PGC10‐R高橋 優勝
4月5日 全日本鈴鹿500キロ自動車レース PGC10‐R(本橋明泰) ブルーバードSSS フェアレディが上位を占めていたがPGC10‐Rは入賞出来ず
4月12日 レースドニッポン6時間レース 北野/長谷見 フェアレディZ432R 優勝
5月3日 ‘70JAFグランプリ PGC10‐Rにロータリーが挑戦 1位PGC10‐R 2位PGC10‐R 3位ロータリー 通算19勝 ロータリー及ばず PGC10‐Rドライサンプ仕様 マグネシュームホイル採用
5月24日 鈴鹿1000キロ自動車レース 1位フェアレディ 2位PGC10‐R 3位コロナマークU 4位PGC10‐R
6月7日 富士300マイルレース 総合1位#3R382北野 2位#2R382黒沢 5位フェアレディZ432R鯉沼 ⇒ R382最後のレース
<Bレース>長谷見PGC10‐R 優勝 6位フェアレディZ432R水野
6月8日 日産が突如 ‘70日本グランプリ不参加を表明 (実質R383開発中止) 10月10日のグランプリレースに出場しない事を発表。その理由は@公害安全問題が重大な問題になってきてレーシングカーの製作に技術力を裂くことが出来なくなった Aその開発による一般のフィードバックがその目的を達成した Bメーカーの対決はプライベートの勝てるチャンスを少なくしているという批判に答える。この突如の発表の動揺は大きくトヨタも同じく不出場を決定する。
6月28日 全日本クラブマン自動車レース(筑波) 星野一義PGC10‐R 優勝
7月5日 北海道スピードウェイ オープニングレース ニッサンR380‐V フェアレディZ432Rデモ走行 <GT>PGC10‐R1〜5位を占める
7月26日 ‘70全日本富士1000キロレース S20エンジンを載せたベルコ72Cが出場し速かったがエンジントラブルでリタイア 2位砂子/長谷見PGC10‐R
8月9日 NETスピードカップレース 総合優勝ベルコ72C早崎治 S20エンジンを搭載したマシンの成功例はこのベルコぐらいだ。
8月23日 全日本鈴鹿12時間自動車レース 2位高橋/都平 3位横山/歳森 PGC10‐R
9月6日 富士インター200マイルレース 総合1位フェラーリ512S 2位ニッサンR380‐U北野
10月 ‘70日本グランプリ (これを目標として製作されたベルコ72DS20 ‘71 4月25日にデビュー)
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1976(S50)
7月 ニッサンR383 公開 GP仕様600PS CAN‐AM仕様900PS 走る場を失いお蔵入り
R380は、プリンス自工が日本グランプリ制覇のために桜井真一郎を中心として開発された、ブラバムBT8シャシーに軽量なアルミボディーを載せ、プリンスGR8型エンジンを搭載したプロトタイプレーシングカーである。
1964年の第2回日本グランプリでプリンス自工は、本来は直列4気筒1,500ccエンジンを搭載するプリンス・スカイライン(S50型)のノーズを延長させ、ウエーバー社製ダブルチョーク40DCOE型キャブレターを3連装しパワーアップさせたプリンス・グロリア用 SOHC 直列6気筒 2,000cc G7型エンジンを搭載したスカイライン2000GT(S54型)で参戦したが、ポルシェ・904に惨敗。このことが、プロトタイプレーシングカーであるR380を開発するきっかけとなった。
1964年完成、1965年には茨城県筑波郡谷田部町(現・つくば市)にあった自動車高速試験場において横山達ドライブによって7つのスピード国際記録を樹立する。
1966年8月にプリンス自工は、日産自動車と合併する。当時、日産においてもプロトタイプレーシングカーを開発中であったが、R380を継続使用することとなり、車名も正しくは「ニッサンプリンスR380」となる。
エンジン 搭載されたGR8型エンジンは、当時のグロリア、スカイラインに搭載されていたG7型直列6気筒2,000ccエンジンをベースに開発された専用エンジンであり、ベースにしたとはいえほぼ新設計に近い形で開発・設計が行われた。
G7のボア×ストロークは75mm×75mmのスクエアであったが、これを82mm×63mmのショートストロークタイプとし、総排気量は1,996ccとした。 クロスフロー、気筒あたり2バルブのSOHCから、4バルブ、リフタ直駆動式DOHCへ変更し、吸排気効率をアップさせた。 潤滑はドライサンプ方式を採用。 燃料供給は、ウエーバー社製ダブルチョーク40DCOE型キャブレターを3連装とした。 以上のような状況から、当初は200馬力前後、最終的には公称で255馬力を発揮するエンジンとなった。なお、このエンジンをベースにストロークを0.2mm短縮し、一般道での使用を考慮したチューニングならびに一部設計の変更を行ったのが、C10型スカイラインGT-R(PGC10・KPGC10型)に搭載されたS20型エンジンである。
レースでの成績 1966年5月2日-3日 第3回日本グランプリにて、砂子義一の11号車が2位以下に3周差をつけて優勝。2位にも大石秀夫の10号車が、4位に横山達の9号車が入った。尚、生沢徹の8号車は、唯一ポルシェ・906で出場した滝進太郎をブロックするチームプレーに専念し12位。滝進太郎は42周目にクラッシュしリタイア、13位となる。プリンス自工の項目に詳しい。 ------------------------------------------------------------
成り立ち 1964年の第2回日本グランプリでプリンス自工は、本来は直列4気筒1500ccエンジンを搭載するプリンス・スカイライン(S50型)のノーズを延長させ、ウエーバー社製ダブルチョーク40DCOE型キャブレターを3連装しパワーアップさせたプリンス・グロリア用SOHC直列6気筒2000ccG7型エンジンを搭載したスカイライン2000GT(S54型)で参戦したが、ポルシェ・904に惨敗。このことが、プロトタイプレーシングカーであるR380を開発するきっかけとなった。1964年完成、1965年には茨城県筑波郡谷田部町(現・つくば市)にあった自動車高速試験場において横山達ドライブによって7つのスピード国際記録を樹立する。1966年8月にプリンス自工は、日産自動車と合併する。当時、日産においてもプロトタイプレーシングカーを開発中であったが、R380を継続使用することとなり、車名も正しくは「ニッサンプリンスR380」となる。
エンジン 搭載されたGR8型エンジンは、当時のグロリア、スカイラインに搭載されていたG7型直列6気筒2000ccエンジンをベースに開発された専用エンジンであり、ベースにしたとはいえほぼ新設計に近い形で開発・設計が行われた。 G7のボア×ストロークは75mm×75mmのスクエアであったが、これを82mm×63mmのショートストロークタイプとし、総排気量は1,996ccとした。 クロスフロー、気筒あたり2バルブのSOHCから、4バルブ、リフタ直駆動式DOHCへ変更し、吸排気効率をアップさせた。 潤滑はドライサンプ方式を採用。 燃料供給は、ウエーバー社製ダブルチョーク40DCOE型キャブレターを3連装とした。 以上のような状況から、当初は200馬力前後、最終的には公称で255馬力を発揮するエンジンとなった。なお、このエンジンをベースにストロークを0.2mm短縮し、一般道での使用を考慮したチューニングならびに一部設計の変更を行ったのが、C10型スカイラインGT-R(PGC10・KPGC10型)に搭載されたS20型エンジンである。
レースでの成績 ;1966年5月2日-3日:第3回日本グランプリにて、砂子義一の11号車が2位以下に3周差をつけて優勝。2位にも大石秀夫の10号車が、4位に横山達の9号車が入った。尚、生沢徹の8号車は、唯一ポルシェ・906で出場した滝進太郎をブロックするチームプレーに専念し12位。滝進太郎は42周目にクラッシュしリタイア、13位となる。プリンス自工の項目に詳しい。
Wikipediaより